明日からだろうと、今からだろうと、決意は儚く脆いものなのです
明日から頑張るっていう言葉がある。決意も弱ければ、その意味もない言葉です。
でも、
明日からじゃダメだ。今から変わろうとしなくちゃ!
これだって同じことなんですよ。どちらも目先のことしか考えていない。
今の自分を変えるという考え方そのものが、短く儚い決意でしかない。
今を変えるということは、今まで進んできたレールを無理やりにも切り替えて、今後は別のルートを取るということをイメージしているんだと思う。
だけど僕たちの人生はそんなに単純じゃない。いつだって不確かなジャングルを手探りで進んでいる。そんな感覚なんじゃないか。
ジャングルの中での歩き方は人それぞれある。たしかに、人によっては信じる道があって、それに向かって明確に進めるかもしれない。
だけどそうじゃない人のほうが多いように僕は思える。だから明日から頑張るとか、今日から頑張るとか、とにかく信じる道を欲している人がたくさんいるのだと思う。
とつぜんに今までのやり方を変えて手を振り回したところで傷だらけになるだけだ。もちろんそれは僕の甘えなんだと思う。傷ついてでも、人にはやらなくちゃいけないときがある。
だけどあまりにも僕自身の決意とか努力とかってのが儚いから、もうそれには頼らないようにしたいんだ。
どこかで読んだ気がするんだけど、決意とか努力とか、自分が変わるって思うのはすごく素敵なこと。すごく酔える。
だけど酔っても変わることは少ない。一番に人が変わるのは、やっぱり痛めつけられること。痛みを麻痺させる酔いに浸っていても変わることはない。
じゃあ僕は痛みが欲しいのだろうかというと、そんなわけがない。だったらお前は一生そのままなのか。何も決意せず、努力せず、愚かなままで生きるのか。
こんなこと言っては何だけど、なんとなくそれでもいいような気がしてきた。だって多くの人が、自分は愚かなんだと思いながら生きているんだから。
愚かだとは言わないまでも、みんなきっと平凡に生きている。そう思ってる。
決意によって変わるってことは、人と比べて変わるってことを考えているんだと思う。そのような決意では、自分自身を本当の意味で変えることなんてできない。
そんなことしたって自分に逆らっているのと同じ。
変わろうという思いも、決意も決心も努力もいらない。できないものは最初からできない。できることしか僕たちはできない。
だからもう僕は、自分を変えるなんてことを考えないようにしようと思う。変わるのではなくて、僕自身のまま何かを学び、楽しみ、人から感謝されることを喜びたい。
という陶酔!!