動けなかったこと

考えすぎて動けなかった僕だ。今だって、むしろ今なんて考えてすらいない。悩んでもいない。とにかく逃げている。

時間は戻ってこないって、どこかの社長が説明会で言っていた。だけど、飛び込むタイミングを僕は自分で決められる。それしか僕に決めることができることはない。若いということしか、僕という存在に市場価値はないだろう。

それを僕は市場価値として消費してしまっていいのだろうか。もちろんそれを僕自身への投資としていくために就職活動をしているのだ。それでも僕は一切の抵抗を行わずに大人になっていいのだろうか。

従順であることは幸せだろうか。きっと、それほど幸せにはなれないだろう。そう思うことはできないだろう。だってこんな世の中だから。従っていても、反発しても、きっと僕の明日は暗い。みんなの未来がそれほど明るくないのと同じように。

今逃げて、少し考え直すことができる自分になるまで待つのだって悪くないことだ。僕は甘えている。いつもどおりだ。でも甘えずに生きてこられたことが今までの僕の人生であっただろうか。いつだって乗り越えるときには甘えてきた。

一番に甘えてきたのは時間に対してだった。あらゆる問題が時間によって解決された。

もう甘えられるのも最後かもしれない。常識のある人に言わせれば、きっと最後どころか、僕の甘え癖は手遅れだってことになるだろうけど。

それでも甘えずにはいられない。あずささんの胸に甘えることができない代わりに僕は時間に甘えなくちゃ生きていられない。

それで、これからどうするのか。

いつ動くのか。自分が望むものをいつ自分で設定するのか。または気づくのか。

もちろん気づく必要なんてどこにもない。多くの人がそれに気づくことなく人生を終える。だからこそ物語の主人公の決意には価値があるのだ。すべての人間が自分の望む決意によってこの世界を変えられるのなら、物語なんて存在しないって思う。

この文章すらも慰めのために書いているに過ぎず、動かせない自分の心と身体をどうにか温めようとしているだけだ。

僕が生きていけないのならば、僕は人生を生きることはできない。僕はつらさを乗り越えられるようにはできてないと思う。

動けなかった今までも、そして動けないでい続けるこれからも、僕は認めるでもなく諦めるでもなく忘れるでもなく……ただつみ上がっていくものを頼りに生きるしかないと。

それで生きられないのなら壊すしかないのだ。あーあ。