立ち

たとえばその作り手が、僕には許すことのできないくらい憎むべき相手だったとしても、その作品が存在し、また人に読まれるのは動かしようもないことだ。と言っても、それを僕は良い悪い自然不自然と判断したいわけじゃない。

ただ読み手が読んだ。ただ僕が読んだ。減るものはない。増えるものもない。誰かを傷つけたかもしれない。僕自身をどうしようもなく欠けさせたかもしれない。

だからと言って僕は欠けた自分を取り返すことはできない。それが最初から取り返しの付くものであるなら、僕は泣いたりしない。そのように考えられる自分ならば、僕は泣いたりしない。

僕はその作品を読むことで果てしなく、遠く遠くまで失われた。複数の意味で。そのひとつひとつの意味に対して僕は、それほどの興味を持っているわけではないけれど、またひとつ傷つけたのだと感じる。すり減らしてしまったのだと。

どうしたいか。それを僕は考えたくない。どうしてか。それによってさらに自分がすり減るからか。いいや違うな。すり減らなくなるから。それも違う。すり減り続けるのだ。僕は。これからは、エンピツの芯が紙に黒い線を引くたび見る見るうちに減っていくように、僕は自分をすり減らしていくだろう。その絶対的な予感。それを恐れとともに受け入れようとする自分。今までも充分にすり減ってきた僕。最後まですり減らされ、きれた僕はどうなるのか。死ぬのだろうか。


僕はまたすり減った。貪った? どちらにしても僕は僕を許せそうにない。そしてもっとも気分の悪いことに、どんなに自分をすり減らしても、すり減らした自分を責めても、最終的に僕は僕自身を許しているのだ。許されているのだ。

なんて気持ちの悪い。そして責められることを恐れる。責められることはないと慰められることに恐れる。