センスがない!

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに

ますださんより。


これすごく分かる。いつも考えてる。斜め読みだけど!

それでもなんとなーく、完全に同意できない気分もある。何なのか。


中学とか高校でフォローされていると僕自身は思わないでもないです。

やっぱり小学生には、自由に書けということの意味が分からないのと同じように、こんなテクニックがあるんだよというのも理解できないんじゃないかと思わないでもないです。もちろん僕自身の話です。一般的にはどうか分かりません。僕は小学生のとき、作文が苦手でした。とくに句読点の打ち方がどうしても理解できなかった(という文句を書くとき、いつもうしろに「今でも分からないけれど」と書かないと気持ち悪い)。いくら説明されても分からなかった……というか、説明された覚えがないです。たぶん頭に入っていなかったのだと思いますが。

そもそも僕のような出来損ないの人間には、まず点の意味など理解できるはずがないのです。音読するときには「点では2秒待つ」「丸では3秒待つ」なんてことを教わった記憶があります。でも文章を書くときにどこに点を打てばよいのか、丸を打てばよいのかというのはまったく分からなかった。ついでに言うと、いつも丸の書き方を直されていた。

中学生になると、ある程度理屈みたいなことを考えるようになるから、点が必要な理由とかなんとなく自分の中で決めたりもする。どんな色合いが好みなのかとか、ファッションも含めて各自いろいろ考えるんじゃないかと思うし、そのための資料も雑誌か何かで学ぶんじゃないだろうかと。小学生にはムリみたいなことを言うつもりはないけど、正直句読点も理解できなかった自分には(授業で解説されたとは思う)、テクニック云々はレベルが高すぎるんじゃないかと思う。

たぶん課題の設定がおかしい。写生とか読書感想文なんて小学生には上手くできないよ(大人にだって、だいたい上手くできない)。体験させるのが大事って意見もあるかもだけど、それだったらもっと簡単なものにして欲しい。できれば句読点を考えないですむやつね。文章を書かせたいなら短いものを書かせればいいんだよね。詩だとやっぱり難しくなるだろうから、俳句とか短歌とか。でも交通安全とかいじめ撲滅とかのクソ川柳はやめて欲しい。自分がどうしようもない偽善者になったような気分になるので。

たとえばそのくらいなら、まず季語のことを教えればいいでしょう。五つくらいの季語をあらかじめ設定してグループ分けしちゃうとか(忌まわしいグループ分けはこういう風に安易に考え出されるのだな!)。それで個人個人にブレーンストーミングさせる。これはべつに考えさせる必要はなくて、目の前にあるものの名前を紙に書けと指示すればいい。それで、それをどうにか5と7の音になるように加工することを教えて、ランダムに組み合わせれば完成。我ながらおもしろそうだ。

長い文章は短い文章の集まりだ、というのはムリのあることだと思うけど(理屈じゃない!)、それでもやっぱり短い文が作れないと長い文章を書くことはできないと思います。


でも今はあれですね。携帯電話が広まったおかげで、有史以来もっとも子どもが活字に親しむ時代ですから、きっと最近の小学生は作文も上手いのでしょうね。僕が自分の趣味を炸裂させた授業を提案する必要なんて1ジンバブエ・ドルほどの価値もないことです。


中学高校になると、そういったものを書いたり作ったりするって時にはきちんと理屈から入ってくれたという記憶があります。どうでしょうね。そのころにはもう僕は自由にものを作るということを崇拝し始めてしまったので分かりません。小論文のテストにだって自分語りをするようなやまいを発症してしまったので、詳しいことは語れないでしょう。


追記

俺らが逆らえない何か。ネットで指導要領見られるって知らない人多いよね。

[教育]もっと、学校でテクニックを教えてみた教師の憂鬱

図画工作と美術の指導要領すごいな。こんなもの読まされたら俺なら自殺する。先生じゃなくてよかったー!