ごくまれに、自分だけが食えていればいいのかと、そう思うことがある
ごくまれである。ごくごく。
贅沢をしているときとか、本当に気分のよいときには感じないです。
逆に、とことん沈んで気分の悪いときにも感じません。
人のことなんて、何も考えない。他人は自分を計るための道具でしかないと、そういうときには思っているのでしょう。
今も酷い生活をして、苦しんでいる人がいると思うのは、通常時よりも少しだけ気分が沈んでいるときです。
もちろん、僕はだいたい普段から沈んでいますから、いつもよりも少し深く沈んでいるときです。
具体的に言うと、日記に「死にたいなんて考えたくないなぁ」って書くくらい。具体的か?
本当に沈むと、「もうだめだ」って書きます。
もうだめって書くのは、つまりここは終点なんだと言いたいわけです。
もちろんこれは、「まだ終点じゃないよね」ということを言って慰めたいがために言っているのだと思います。どんな自己分析だ。
本当に苦しい中、人が生きる意味ってなんなんだろうってことを考えます。
そういうことを普段あまり考えないからこそ、僕は鬱々としているにも関わらず宗教にほとんど興味を惹かれないのだと思います。
それでもやっぱり、僕はいつも、どうして生きなくちゃならんのだとか、働かないといかんのかとか、競争しなくちゃいけないんだとか、考えてます。どれもこれも、意識してやってきたことはひとつもないからこそ、僕は僕でいられるのだと思いますけど。
僕が食えるならいいのか。
社会の中で働くことこそが、世の中のためであるというのは本当か。短絡的に過ぎるとは思うけど、まるっきり嘘だとも思えない。
本当にそうなのか。
今この時代で人が働く意味って何なんだろう。
食べるため? 昔と同じ? そんなふうに信じられるだろうか。
僕はそう信じたいからこそ、ちゃんと働こうって思うけど……。
べつにこの世界で生きていくのがそれほど苦痛だとは言ってないけど。
本当に苦痛だと思っている人がいる中で、嫌々に、それでも適当に生きている自分は何なんだろうって思う。
それでも幸せはみんなの心にあるよね。この言葉を僕は信じていられる。だけどそうじゃないんじゃないかって気もする。
この世界、と言うと変な感じだから……この日本で、普通に生きるってことは簡単なことなのか、それとも難しいことなのか。
その判断がどうしてもつかない。
もしかしたら、人間として生きるということそのものが、難しい問題なのかもしれないけど。
日本はどういう国なんだろう。
この生き苦しさは日本社会のせいなのだろうか。
まったく分からない。自分なりの仮説すらたたない。
もう寝る。明日は休む。
「泣きたい」って言う。バカバカしいと思う。