写真の写り方の話

村上春樹がエッセイか何かで自分は写真うつりが悪いから撮られるのは嫌いだって言ってた。

作り手の顔を知りたいと思わない僕。表現は表現それ自体で評価したいというミーハー嫌いな僕(中二病の延長)は、作り手に限らず、声優や歌手なんかの顔も、あまり積極的に情報収集しません。

だから村上春樹の写真も、読み出してからしばらく見ることはなかったのだけど、トイレ文庫になっている姉の現国教科書に印刷されていました。それがもう何と言うか、「こいつ寝起きか?」っていうクオリティで、まさしく写真は似合わないって思った。

でも『走ることについて語るときに僕の語ること』だったか(いや、違うか?)、スポーティーな格好をした村上春樹の写真があって、それがずいぶんとハードボイルディーだったので、やっぱり、よい人物写真というのはタイミングが大事なんだろうなんてことを思った。


さて、自分から撮ってくれと頼む人は世間では少ないだろうから、だいたいの人が不意に写真に写らなくてはならない。僕が写真を撮られるときに心がけていることは(というか、自然にそうするようになったんだけど)、とにかく満面の笑みで撮られることだ。

笑っている顔というのは本来美しくないものだという言葉をどこかで聞いたことがある(少しくらい出展を探るフリくらいしろよ俺)。写真を後々見たときに自分の写りを一番気にするのは誰かって言ったら、それは自分なんですよね。そしてそこに無表情で写っている切なさ。顔に自信があるわけでもない、澄ました表情が美しいとか言われても、そこに写っているのは無愛想な印象の自分なんだよね。

だから精一杯笑う。なんというか、普段教室で静かにひとりぼっちしているのに、卒アルのスナップ撮るよーって言われてそこだけ満面の笑みとか、逆に虚しいという気がしないでもないんだけど、そのときだけは笑いが取れたのでガッツポーズしてた。心の中で。僕の高校生活の一番の思い出。

結局僕は写真の出来上がりよりもその場で笑いが取れるほうが重要なので、やっぱり撮られるときはニッコリ。あとピース。伊織ちゃんバリに、両手でピースしまくる。


そんな人生。