死んだ彼らと僕の意味

人が死ぬということに僕は少し無感動だ。

僕が幼少のころは、よく家で動物が飼われていた。猫・犬はいたことがなくて、ウサギとかハムスターとか十姉妹(鳥)とか熱帯魚、そんな感じで。

動物たちはみんな死んだ。僕はそのとき悲しんだろうか。

最初から僕には、失った命を嘆くという心がないのかもしれない。大げさだけど。
とは言え僕はその動物たちの世話をしなかった。だいたい姉と母がそれをしていたから、僕は横から見ているとか、可愛がるとかしていただけだ。だからか。

虫。今でこそ僕は虫が嫌いだけど、小さいころはたまに飼っていた。でもカブトムシなんかの世話というのは面倒なもので、物事を長く続けられない僕は何かの拍子に死なせてしまった。たとえば旅行とか。

おたまじゃくしを飼っていたことがある。ウシガエルのおたまじゃくしだった。大きくてかわいい。僕はぬるぬるしたものが好きだったのだと思う。あと丸いもの。飼うと言っても外の水槽に入れてあって、たまに桶に出して触るだけだ。餌はたぶん金魚の餌でもあげていたんじゃないかと思う。しばらくして後ろ足が生えて、よくある話だけど、それから見ていない。いや、もしかしたら死なせてしまったのだろうか。

身近な人が死んだらどう思うかということを僕は真剣に考えてきたことがあるのだろうか。身近な人が死んだ人を僕は見たことがあるが、同情も共感もできなかった。

一番最近に出席した葬式は祖父のものだった。母はそのとき泣いていただろうか。葬式で泣いていたのは誰だったろうか。棺桶の白い顔を僕はどういう心持で見たのか。お骨を入れる瞬間、こういうことをするのだなという認識以外に感情はあったのだろうか。

悲しむべきこと。考えるべきこと。そういうことがあったとき僕の頭に浮かぶ言葉はニュートラルだ。たぶん車からきているのだと思う。

伯母さんの葬式。まだ若い、中学生か高校生かの娘姉妹を残して亡くなった。いや、三姉妹だったかもしれない。覚えていない。退屈していた僕をかまってくれたような気がする。

僕が思うのは、死ぬということを僕は正しく認識できているかということだ。たとえば引越しして会いにくくなるとか、そういうことと混同してはいないかと。

人に薄情だと言われるたび僕は他人の薄情さを思う。おまえたちには人を思う心などないのだろうと思う。いや……

高校の卒業式に持つべき情など僕にあるのかと思ったが、僕は1・2年のときの担任に挨拶に行ったことを覚えている。いろいろと相談に乗ってくれた。もちろん、面談とかそういう場合にしか話はしなかったけれど。

人を思っている、他人を認めようと努める人、という教師は、けっこう子供に嫌われるんじゃないかと思う。白々しい感じがするからだ。僕は分かっていました、ってことは言いたくないが、たぶんそういうことなんだろう。とは言え、それなりに生徒に通じるものもあった。苦労が透けて見えていたというのもある。子供も大人も苦労しているものだから、その部分では共感できるとか、そういうことなのか。

僕のような無感動な人間に情を感じさせてくれたというのも……。それも言ってみれば同情だったけど。生徒の励ましが力になるならっていう、傲慢な考えだな。僕がどう考えて行動しようと相手の考えがどうなるかなんて分からないんだから、いいことをして(いいことだと思うことをして)悪いということは、そうないだろう。


情緒不安定な人間だと自分で思うけど、周囲の見方では落ち着いているという。典型的な内弁慶だから意外というわけでもない。

分からないから、ただ指示があれば真面目にやるというだけだ。指示されたものをやりたくないという人は、つまり他にやりたいことがあるのだろうけど、僕にはそれがないというだけ。だったらもっと勉強しとけよって思うけど、両親にはそれほど勉強しろとは言われなかったし、宿題をやっていかなくても怒られるだけだった。たぶんやれと言われてたらやっていたのかもしれない。それとも、それをするのさえ嫌になったか。

宿題を終わらせるというのは悪い気持ちじゃない。これを普通に感じるようになったのは高校生のころだ。小学校中学校と僕は宿題をほとんどやっていかなかった。もちろん締め切りとかあったから、やったことにはやっただろうけど、余裕を持ってやろうと思い始めたのが高校生になってから。今はまたギリギリまでやらなくなったりしているけど。


成長が遅いのだと思う。成長というか、そうなのかと気づくのが遅い。実際にそれをやっていたとしても、それがどういうことなのかってことに思い至るのはあとになってからだ。それまではニュートラルな感じ。

きっと死ぬということや、そのときに悲しむということも、そのうちに分かってくるのだと思う。


文章を書くということにも僕は未だニュートラルな感じがする。絵についても同じようなことを前に言ったけど、それほど好きではないから描いているって思えるというのはあると思う。好きでも嫌いでもないけど、どっちかと言えば好きというもの。僕にはそういうものしかないけど。


比較的ネガティブな感想も書いてしまった。やっぱり長くは続かないなぁと思う(しばらく前にネガティブなことは書かないと決めた)。どっちにしろ何も変わらないようなので、このあたりでやめにしよう。ただ、続きを読むにしてあまり見せないようには努力をしようと思う。そういうものを読みたくない人だっているだろうし、読みたいと少しでも思ってくれた人に読んでもらえたらっていうこともある。

もうちょっと何かテーマに沿ってものを書きたいと思う。浮かんできた言葉を書き連ねているだけだと自分でもあまりおもしろくないし。夜中に書く文章はいつもこんなだ。べつにいいんだけどね。ただ語尾をどうするかとか、語順とか、そういうのを即興で訓練できたらって思っているだけなので。