友人感覚

昔々に同じゲーム制作サークルにいたネットの知り合いが日記で、共同生活が破綻した経緯みたいなものを書いていました。僕も卒業を前にして、友人と共同生活とかできたらいいよなぁって話をしていたので、いろいろと考えさせられました。

何度か文章にして書いているけど……

文章がおもしろい人って、きっと気が合わないんじゃないかなって思うことがあります。とくにフィクションで、その世界観に自分が浸れるってことがあると、この作者とは絶対合いたくないなっていう。

根本的な部分で共感できてしまっている感じがする。その根本って、無関心とか否定とか、負の感情であることが多い。自分の嫌いなところを心地よく刺激してくれる文章を書ける他人というのに、恐ろしさみたいなものを感じているという可能性もあります。


仕事にしてもそうですよね。なんにしても、共同で作業したり、一緒に住んだり、各々の相性みたいなものがあると思う。それは、たんに片方の器量の狭さだけの問題じゃない場合もある。どうしても許せないことっていうのが、人にはあったりなかったりする。そう、許せないことがないという人間を許せない人だって、いる。

長い関係、短い関係というのもある。とはいえ、人の数だけ関係性があるというのは陳腐な思考停止のような気もするので、やっぱり双方の許容みたいなものをメインテーマにしたほうが、文章としてはシンプルで分かりやすいかもしれない。


そして過去のサークル長を思い出す。僕は仲たがいしたとは思っていなかった。たんに今まで言ってきたことをハッキリと言い直しただけだ。結局分かってなかったんじゃねぇかって僕は憤る。

けど、彼も当初から同じことを言っていたのだ。「バカな奴にあったことはあるけど、気にしてこなかった」と。つまり彼は人のことを気にしない人間であって、他人はみな他人として存在していると信じられる人間なのだった。

僕はどうしても他人が他人として感じられず、自身を自身として感じすぎる性格だった。僕のほうが異常なのだ、おそらくは。とりあえず、彼は空気読めなかった、と貶しておくことにする。純粋さと純朴さには惹かれたけど、やっぱりそれだけじゃいかんのだなぁ。


話は戻って、学生時代に共同生活をしようかと企画していた人とは、べつに仲が悪くなったわけでもないので、今後するかもしれない。すぐに帰れる家も(今は)あるので、とくに悪いタイミングではないと思う。とはいえ、僕の貯金残高は150円なので、引越し資金諸々が用意できない。なんとかなったらなんとかするか?

あんまりいい関係というわけでもない。これも上に書いた、文章とその作者みたいなことで(偏見だけど)、価値観の重なりとか離れが心地よくもあり、狂おしいほどに吐き気がするところでもあるという。

ようは、いっそ嫌いになれたら楽なんだがってことだ。……嫌いというのとは違うか。まったく理解できない価値観なら無視できるけど、同じような問題意識を持ちながら、考え方・感じ方がずれている。

僕のほうが楽観的なんだけど、たぶん僕のほうが神経質なのだ。目先の雑事に嫌気を感じ続けているわりには、長期的な状況については考えないのだ。逃避なんだけども。

相手のことも書こうと思ったけど勝手な想像だろうし、これを読んでいる可能性もあるんで何も書かないことにします。


あまり親しく人付き合いしたことがないから、全部自分に返ってきてる感じしかない。僕はやっぱり壁に独り言をつぶやき続ける運命なのかもしれない。幼少のころから今までずっと、一番熱心になれるのが人形遊びなのだから、しかたのないことだ。そんな自分に酔う。カンパイ!