エロゲの批評が苦手

読むとそれなりにおもしろいと感じるのだけど、べつに僕が物語を読むのは「そーなのかー」って思いたいからではなくて、たんにそれこそ楽しみたいだけなんですよね。これはエロゲの批評に限らず、あらゆるフィクションに対する批評について思うことなんですけど。

そういう、物語を読み解くという作業が物語を作ろうとする自分にとってどういう影響を持つのか……。もしかしたら大切なことなのかもしれない。でも一番重要だとはどうしても思いたくない。そんなふうに思うんです。めんどうだからってのもあると思うんですけど。

批評にもたくさんの手法があると思います。どの批評も僕にとって必要ない、みたいなことが言いたいわけじゃないです。批評文を読むことによって物語を深く知ることができるというのは否定できないです。

批評というものがどういう意味を持っているかということを僕はまったく知りません。それを知るための文章も読んできませんでしたし、読んでいたとしても頭に残ってないです。そのことについてよく書かれているブログなんかも読んだりしているのですが、その文章自体をおもしろいとは感じても、その考え方自体にはそれほど興味を示していないのだと思います。

興味がない……。いろんなことについて興味がないと最近はよく感じます。自分は多趣味で、いろんなことに興味がもてる性格だと思って生きてきたのですけど、どうもそうじゃなかったみたいですね。高校で、あるいは大学で学んだ興味深い教科の多くについて、僕はその内容よりも先生・教授の表現の仕方のほうに興味が偏っていたのだと思います。

もちろん内容があってこそ、表現というものに力が出てくるのだと、いちおうは信じているわけですが……。

エロゲの批評なんてほとんど読まないです。たまに読んで感心する程度にしか読みません。そしてそうやって感心したところで自分の書くものが変わったようには思えないんですね。変わったのかもしれませんけど。やっぱり作品そのものに触れた直後が一番その影響を受けやすいです。批評読むくらいならもう一回プレイしたほうが有意義だなんて傲慢にも思ってたりするようで。

これもまぁもしかしたら批評の一種なのかもしれないですね。だからどうしたって意味では、作品を語っているものよりも数段劣るのでしょうが。べつにエロゲ批判の批判が低俗だって話じゃないですよ決して。ただ自分のこと語ってるだけってのはいつもどおりくだらないなぁとは思います。これこそ僕の目指す表現に繋がるとは思えないです。僕には目指す表現なんてそもそもないようですけど。

なんて言いながら批評とかけっこう好きです。大学の図書館、最近の購入図書に『村上春樹スタディーズ2005‐2007』があったので今読んでます。読んでるといっても文字を目で追っているだけで内容はまったく理解してないです。ハードカバーの本を読んでいるとかっこよく見えませんか? 見えませんね。ごめんなさい。

というような感じでいつもどおりの僕です。