内容は二の次で、すんなり読めるかどうかのほうが僕にとっては大事

らしい。

書かれた文章がすんなりと頭に入ってきさえすれば僕は楽しく読めるらしい。

もちろん、それはひとつひとつ独立した文章の問題じゃないと思う。文脈が繋がっていると感じられるからこそ、すんなりと頭に入るのだと思う。

でも、そうだとしても僕にとっては文章の流れのほうが大切で、内容なんてほとんど気にしていないのだ。気に障らなければ読んでいられる。

そんなこと言ったって、そもそも内容なんてすべてを読んでみなければ分からない。読むということをしているときにあるのは、まさしく文章を読むことでしかない。書いてある文章を、言葉を頭の中で、今まさに再生するということしかできない。そこから全体の内容を推測したりすることは、まずない。

だからなんだろう。とにかく繋がっている文章なら僕は読めるってことなんだけど、いや、でも本当にそうなんだろうか。繋がっていない文章というのは、やっぱり単純な文章単位、あるいは前後の文脈がおかしいから、そのように感じるのか。本当にそれだけなのか?


、なんにせよ、読みやすい文章じゃないと読む気にはなれない。みんながみんな同様の読みやすさを求めているのかどうかというのも分かることはできないけど。

たとえば旧字体の小説なんかでも、覚えてしまえば意外とすらすらと読めるようになる。使われている単語の意味の難しさとか、そもそも読めない字体とか、そういうのは文章の分かりやすさとはそれほど関係ないのかもしれない。高橋先生も英文読解で一切単語の意味を考えずに点を取る方法とか教えていたし。

それでまぁ、この手の議論もまたどこかでは頻繁にされているんでしょう。何か専門的な名前も付けられているかもしれない。べつにそれを勉強したいわけじゃなくて、だから今後も分かりやすい文章を書こうと、また月並みな結論で締めくくるのでした。退屈だ、こういう文章書くのも。


りっちゃんとちひゃーがもし恋に落ちるならという設定で小説が書きたい。連載でもするか。どうせ長くは続かないだろうけど。なんかこう日常を積み重ねる感じで。よくある金太郎飴的連載(サザエさんとか)とかにチャレンジしてみたいよね。二次創作としては、けっこうやりやすいと思うんだけど、どうだろう。