文章の書き方はいろいろあっていい

ブログなんかだと、段落は伝統的な方法で作る必要はないんですよね。

分かってるつもりなんだけど、なんとなく気持ち悪い。

というかそもそも、その伝統的なやりかたってやつが定まってないわけだし、定める必要もないわけだし。

一番伝わりやすいように書くのが大事。……違うか。

一番伝わりやすい表現ってのはなんなのかって考えることが大事だな。


これはもう何回文章にしたか分からないけど……

昔、身障者差別を学ぶためのビデオを学校で見せられたことがあった。

僕はそのビデオがどうしても許せなかったんだけど、その理由が、字幕が読めないことだった。

まさしく今そこで、我々にあるものがない人々の話をしているのにもかかわらず、そのアニメの字幕は画面に溶け込んでたびたび見えなくなった。


だからと言って、僕自身の差別問題への無関心をそこに責任として擦り付けるのもどうかとは思う。

でもそういうことの積み重ねが、僕のような差別に無関心な人間を多く生んでいくであろうことは感じる。

僕は無力感を感じる前に無関心になる。めんどくさいからだ。


そういったわけで、僕の展開する表言論はいつだって「考え続けることに意味がある」というようないいかげんなものになる。

その裏には、実際の表現に対する意識的な無関心がある。

ようは、句読点など、どこに打とうが俺の勝手。段落など、どこで改めようと俺の勝手。そういうことだ。

死ねばいいんじゃないかと思う。

思うだけだけど!!