習作(未完)

それであなたは自分が特別なのだとでも思っているのかと問われ、私は頭に血が上ってしまった。そしてそれを言った彼女を殴りつけ、何度も踏みつけた。重い感触とは裏腹に、彼女は仲間たちに引っ張られながらも、平気そうな顔でトイレをあとにした。

自分のやっていることはただの自己満足だった。それには何の主張もなかった。私の行動は、いつだってほとんど意味を持っていなかった。そして、その唯一の意味が反抗であり、自分を認めてくれない人たちへの抵抗だった。しかし、すでに私には反抗する対象さえいなくなった。私は両親に捨てられたのだ。


私の家は、住宅街としてはランクの高い街にあって、そんな中で私のような人間はとくに目立っていた。だから、というわけではない。両親は借金のために家を出て行った。私を置いて。だから私は親戚の家に住むことになった。その親戚との関係も、正式な呼び名を知らないし、詳しく説明するのも面倒なくらいに遠い親戚だった。生まれてから一度も、会ったことはなかった。

両親が夜逃げしたことを何故か隣の家のおせっかいな住人は知っていて、どこから連絡先を得たのか、その親戚のところまで私を引っ張っていった。引っ張っていって、適当な説明をして、その家に私を放り込んで帰っていった。隣の家に、両親に捨てられた子どもが住んでいるなんて、きっと気味の悪いことなのだ。私にだって、それくらいは分かる。私は近隣住民の間では不良で有名だった。もちろん、不良らしい暴力・犯罪事件を起こしていたとか、そういうことではない。ただ私は目立っていた。

その親戚の名前は空子と言う。空子の家は、家と家の間に無理やり作りましたというような格好をしていた。奥行きは隣り合った家と同じなのに、幅だけが妙に狭かった。普通車一台くらいのスペースしかない。その少し広めの路地のような家の中で、私は空子に案内されて二階の一室に案内された。好きに使っていいからと、彼女はそっけなく言った。

私が前の家から持ってきた荷物は、決して少なくはなかった。とは言え多いとも言えない。少し長い旅行に行こうという程度のものだ。トランク二つ分、しかし、それはほとんど私の持ち物のすべてだった。私は物質的な面で両親から愛されてはいなかった。精神面でも、もちろん。

私は荷物を広げ、学生服を取り出した。詰襟のガクラン、男子指定学生服である。私は男物の水色のシャツを着て、上着と同じ色のスラックスをはいた。そして上着に袖を通す。私が目立っている、これが唯一の理由だった。

両親が家にいなくなってから三日間、私は家で何もせずに過ごしていた。何の音もしない家の中が、妙に心地よかった。三人家族がそろっていたって、会話なんてなかったから、とくに状況が劇的に変わったわけではない。ただ、二人減っただけのことだった。私は少し以外だった。父と母がそろって出て行ったということが。両親の仲は悪くなかったけれど、悪くなければ中が良いというわけでもない。しかし、つまり私は二人にとって、互いにいるということよりも価値が低かったということだろう。そんなことは、分かってはいた。

もちろん、二人で示し合わせて出て行った後に、二人が別れなかったという保障はない。むしろ、別れているという予測のほうが正しいように思えた。きっと、どちらか片方がいなくなったら、残ったほうに面倒が残るから、一緒にいなくなったのだろう。面倒とは、私や、借金のことだ。

借金は私を家にいさせられないようにした。借金取りが家の前で騒ぎ立てるとか、そういうことを予測していたのだけど、二日後に現れたのはスーツの男女二人組みだった。二人は勝手に家に上がりこんで見て周っていた。私は居間にいてぼんやりしていたが、気配で誰かが入ってきたかは分かっていた。二人は最後に居間に入ってくると、私を見て驚いた顔をした。人がいるとは思っていなかったのだろう。

「借金取りですか」

二人を見て私が尋ねると、二人は顔を見合わせて小声で何かを確認しあった。女のほうが小さい写真ほどの紙を掲げて、私と見比べている。おそらく、そのまま写真だろう。男のほうにも、その紙を見せた。男は私を見て二度頷くと、私が座っているソファーの横に座った。ソファーがもうひとり分だけ沈み込んだことに、何故か無性に腹が立った。

「君はもう、ここにはいられないから、出て行ってくれ」

「ここは私の家だし、出て行っても行くところがない」

男が私の返答を聞いてふんと鼻を鳴らす。きちんとした格好をした人間でも、そうでない人間と同じくらいには悪いことをしているし考えている。私は両親を見て学んだことを頭の中で再確認していた。要するに、人間というのは誰も変わらず汚いことをしていて、誠実なんてものはまさに偽るための仮面でしかないのだ。

「もうあなたの家じゃなくなったのよ。私たちはこの家がいくらになるか、査定をしにきたの。だから、すぐにでも出て行ってもらえるかしら」

女はとくに感情の込められていない声で言った。そんな女を茶化すように男が二、三言かわいそうだろうとか、いくらなんでもとか言ったが、女はそれを無視した。

「それじゃあ、明日にでも出て行ってね」

女がそれだけ言って出て行くと、男もそれにしたがって家を出て行った。

私はその次の日も家を出て行くつもりはなかったが、半ば無理矢理、隣の家の人間に引っ張られて家を出ることになった。詳しくは聞いていないが、おそらく家に来た二人か、それと関係ある誰かが、隣の家に文句をつけたらしかった。隣人はどうにか私の前だけでは笑顔を取り繕っていた。しかし私のことを家族同士で相談するときになると、口汚く騒いだ。気持ちの悪い家族もいるものだと、私はすでにない、みずからの家と比較していた。だが、どちらも気味が悪いということには変わりはなかった。

私は制服の乱れをチェックし、髪にクシをとおして部屋を出た。今からでも学校に行こうと思ったのだ。こんな、他人の家に長くいたくはなかった。もちろん、学校が終われば私に帰る場所はどこにもない。だがしかし、そんなことはどうだっていいことなのだ。どこにも行きたくなければ、どこにも行かなければいい。

もう昼時だった。三日間、ほとんど水と、冷蔵庫にあった果物しか口にしていなかった。それでも空腹は感じることがなかった。空腹だと感じたことなんて、物心ついたことからなかったように思える。

階段を下りていると、下の廊下に、家主である空子がいた。

「そんな格好で、どこへ行くの?」

こうやってどこに行くのかと尋ねられるのは嫌だった。父には目を合わせるたびに言われ、母からは一度も聞かれなかった言葉だ。

「学校に」

短く答えると、彼女は私の格好を下から上まで確認した。そして「面倒だけは起こすな」とだけ言うと、狭い廊下の奥の、おそらく居間と思われる部屋へ行った。

「面倒だけは起こすな」という言葉に、私は昨日のことを思い出していた。男がソファーの隣に座って、私を巻き込んで沈む、嫌な感触だった。それに似ているような気がした。

私は気にしないようにして家を出た。おそらく、もうこの家には帰ってこないだろう。違う、私にとってこの家は、帰るべき家などではなかった。両親のいたあの家だって同じだ。ただ今までは、そういうものなのだと思って私は家に帰っていた。しかし私をこの世に生んだ両親があの家からいなくなったことで、もはや私が帰る必要のある家というのはなくなったのだ。それも違う。最初から私には帰るべき場所などないのだ。

私は学校に向かうため慣れない道を歩いた。知らない場所というわけでもなかったが、普段歩く道ではない。学校には前の家よりも近いくらいだった。どちらにせよ、歩いて行けるところだった。ここからなら三十分程度で付くはずだ。

しばらく歩くと学校に着いた。下駄箱を通って自分の教室へ向かう。お昼休みは終っていて、通る廊下から見える教室内では、学生がまじめだったり眠そうだったりしながら、授業を受けていた。歩いている私をチラチラと何人かの生徒が見るが、私自身はとくに珍しいものではないのか、すぐに授業に向き直った。

私がこの格好をしていることも、とくに珍しいことではない。私が定められた女子用制服を着てきたのは最初の一ヶ月だけだった。それからもう半年経とうとしていた。

教室に到着した私は、少し躊躇った後に、すべりの悪い引き戸を開けた。中から聞こえてきていた教師の声が、その騒音とも言えそうな音にかき消された。

「遅れた理由を言え。それと、欠席についてはあとで話がある」

「今日は……寝坊しました」

両親が夜逃げしましたなどと言えるわけもなかったので、私は適当に嘘を言った。だいたい、私の言うことなんてほとんどの場合話半分くらいの意味しかないのだ。他人に対しても、そして、自分に対してだって。

「どこまで読んだ……?」

教科書に目を走らせる。このクラスの担任であり世界史の担当であるこの男は、私にとっては何の意味も持たない人間である。相手にとっては、私はきっと忌むべき存在であろうことは想像に難くない。私は目に見えて問題のある問題児だからだ。何なら早くやめてくれればいいと思っているはずだ。現に、私が今の服装で学校に着始めてからすぐに、私はクラスの女子グループから暴力を受けていたが、その現場を目にしてもなお、とくに教師として行動を起こすことはなかった。それでクラスの大部分の反感を買って雰囲気を壊すよりも、私一人がいなくなったほうが、問題児もいなくなるのだから、奴にとっては良いことなのだ。

その、私をことあるごとに痛めつけることが趣味であるところの女子グループが、私の方を見て笑っている。小さな声でこれ見よがしに嘲笑してみせるというのが、彼女たちにとって私を痛めつけるのに重要な行動のひとつと、彼女たち自身は考えているらしかった。しかし私は、よくそんなに、ある個人を見ながらコソコソと喋る話題があるのものだと関心するだけだった。そんなことをするならば、ただ痛めつけられたほうが私にとっては苦痛なのだ。

私はいつもどおり彼女たちのことなど気にせずに、授業を聞いていた。黒板に書かれた文字をノートに写していくものの、すでに授業は後半に入っているらしく、前半部はすでに消された後で、その内容はいまいち不明瞭だった。教科書を流し読みして話を追おうとするも、ぼんやりとして上手くいかなかった。さすがに、栄養が足りていないのかもしれない。

まるでボートの上で手のひらをオールの代わりにしているかのような授業が、チャイムとともに終わった。授業はあと一科目で放課である。ホームルームの後に職員室に来いと担任教師に言われた。しかし行くつもりはない。

「早く学校やめてよ」

誰かが言った。誰が言ったかは分からない。しかし、誰に言ったのかというのは分かった。

「三日も来ないから、やっとやめてくれたと思ってたのに」

今度は誰が言ったのかも分かった。分かりたくもないが、彼女は私の目の前に来ていた。私を嫌っている女子グループのリーダー格の女である。彼女は私を睨みながら、それでもニヤニヤした顔で私の顔を見た。奇妙な表情だった。

「もう死ねよ」

「死んだら学校に来るのも認めてやる」と彼女は言い、その言葉にグループの女子たちは大喜びする。

「死んだらもう学校これねぇよ!」

「なんか、バケて出そうじゃね?」

「すでに死んだみたいな顔してるしね」

互いに叫びながら会話をする彼女たちを見ていると、隣人が家族でもめていた光景を思い出す。私の以前の家族や、査定に来た二人や、空子の静かさから比べると、ずいぶんとエネルギーを発しているように思える。それがどういう意味を持っているのか分からないが、やはり私にとってはうるさい以外のなんでもなかった。

「今日は放課後、手伝ってあげるよ」

「何の手伝いだよ、何の!」と笑いながら下っ端がリーダーに笑いながら問いかける。「自殺の手伝いじゃん?」と、他の女子が言う。「マジ怖い! スミちゃん殺されちゃうんじゃない!?」。

騒ぎ立てる女子が、そして一瞬で静かになった。次の授業の教師が教室に入ってきたのだ。早すぎるとかなんとか、クラスの男子が愚痴を言い、現代国語の女教師が冗談で申し訳なさそうに謝る。この若い教師は、やはり若いということで男子生徒からは人気があった。そうなってくると女子からは嫌われるものだが、女子に対しては徹底的に下手に出ることで何とか矛先が向かないようにコントロールしていた。もちろん、下手に出れば大丈夫というわけでもなくて、要点を抑えてうまく立ち回っているのだ。とくに先ほど私に話しかけてきたリーダー格の女子などとは、よく考えて接しているように見えた。

私にもそういった、集団の中でうまく立ち回る能力というものがあればよかったのだが、あいにくそうも行かない。そもそも、私はひとつの教室という社会の中どころか、すでに学校全体や世間や家族などというものからさえ、はみ出てしまっているのだ。いやしかし、もし私がそういった、社会の中での立ち回り方を知っていたとしたら、このような格好をしていたとしても、もしかしたら今のように目の敵にされるようなこともなかったのかもしれない。

男子と仲良く見えすぎない程度に、ひととおり彼女は生徒と冗談を言い合って、授業を始めた。私には、私を痛めつけようと頑張るクラスメイトよりも、この教師のような器用に人と付き合える人間のほうが、よっぽど憎く思えた。

私に憎悪を向ける人間のほうが、よほど素直で誠実なように私には思えた。逆に、周囲の人間に上手く取り入って、誰にでもいい顔をしようとする人間のほうが、よほど不誠実に見えた。人は人を簡単に裏切るものだ。信じているという約束ほど、信じられないものはなく、それは確実に裏切られる約束だと私は思う。私は誰も信じないし、信じたくはなかった。