ネット文芸雑感

雑感とか言いながら、その界隈のことは一切知りません。

そもそも、ネットで創作文など読もうという人がどれだけいるのか。むしろ書きたい読まれたいって人間の方が多いように思える。、それはさすがに錯覚だろうけど、文章だけで読んでもらおうなんて無理がありすぎるわけですね。

そもそも、どこでも言われるようにネットで、というかパソコンモニタで文章は読みにくい。そういったわけで携帯小説なんてものがパソコンの文芸よりも大きくなったわけだけど(そうなのかー?)、パソコンでおもしろい作り話を感じたいと思って、わざわざ小説なり詩なりを読みにネットの海へ潜ろうなんて考える人はまずいないわけです。

その量たるや相当なもので、しかもおもしろくない。たいていおもしろくない。こうやって僕みたいに自信満々で小説をブログでアップしている人間が言うのだから確かだ。確かな実感と体験からくる話だ。つまり自信満々で書いているやつがこの程度じゃ高が知れているというもの。自分が馬鹿だからってみんなも馬鹿だと思うのは馬鹿な証拠ですね。僕は馬鹿ではないので、おそらく僕以外の全員が馬鹿なのでしょう。やーいやーい、バーカバーカ!

そんなわけで、文章を評価してくれるコミュニティなんぞに作品を投稿してみたいとか思った矢先に僕の理性が告げたのだった。そんなことをしても、何にもなりませんよ、と。僕は文章を評価されたいのではなくて、お話を評価されたいのだ。僕の作る作り話で、なんとしても何かしらを感じてもらいたいのだ。そのためには、小説コミュニティにいる特殊な人間相手に書いても駄目だ。もちろん読み手もいるだろうけど、こんな不便な媒体で文章を読むようなM野郎どもに評価されたって仕方がない。つまり僕もMだから、Sから評価されないと意味というか快感がない。そういうことだ。あとは、そんなところにいるのはやっぱり評価が欲しい書き手だけなので不毛。

僕は本当のところレトリックとかで評価されたい。カスタマイズ……じゃなくてカタルシスとか、カラマーゾフとか、そういう評価がされたい。神への祈り的な意味で。


そんなわけでやっぱり僕はどこにも行かずここでのんびりとお話が作れたらいいなって言う夢を見て腐って死んでいくのでした。めでたい話にゃ福がある。にゃ、と入力するところ、にょ、と入力してしまったことについて、僕は古典というのは本当に大事だと思いました。ゾシマのジジイの昔はワルだった的なところです今。

知り合いの女性にスーツで会社へ行っているの? 萌えるね! ってメールをしようと思ったけど裁判で負けそうなのでやめた。

なんか支離滅裂なことを書いておけば頭のいい人にだけ文脈で想いが伝わると思った。しかし余白が足りない。

そう、ブログの問題は余白がありすぎることなのだな。無限なのだ。いや、データベースというシステム的限界はあるのだ!