勉強ができないので気分が沈む

大好きな勉強をする時間がないから悩んでいます、というエントリではありません。僕は頭が悪くて、勉強してもほとんど何も身につかないから勉強なんて大嫌いだし、勉強してる人を見るとイライラするって話です。

小学校の同級生のさっちゃんは休み時間中に宿題を終わらせ、その様子を不思議がる僕に「家でやるのめんどうだから」 というクールな回答をくれました。彼女が今何をしているのかということだけが気になる今日この頃です。

それで僕はどうだったかというと、宿題なんて家でもやらなかった。実際やらずに済ませたのか、少しはやっていたのかは知らない。だけど、何となくだけど、今と同じような感じだったんじゃないかって思う。今の僕も、帰ってきたら数時間、寝るまでの自由時間があるのだけど、結局そういう時間でやりたかったこととか、やるべきこととか、そういうことできてない。いつのまにか寝る時間になってて、寝なくちゃいけないって慌てる感じ。

どのくらい僕が勉強できないかっていうことは前にも書いたのだけど、前にも書いたから今書いてはいけないという法はないので書いてみると、やっぱり圧倒的に僕は漢字が苦手だった。中学生になって英語の授業が始まって、その圧倒的な不可解さのおかげで漢字への苦手意識はなくなったけど(なくなったのは意識だけで、本質は変わらなかったけど)。

漢字がどのくらい苦手だったか。中学年か高学年のころだった気がするけど、漢字があまりにもできない僕に対して先生が特別に漢字のプリントを用意してくれた。学校で習う漢字が四角いマス目に右上から並べてあるものだ。それが一年生から、今の学年のものまであった。

それで僕は、まぁプリントまで渡されては仕方がないと、一年生のプリントから始めた。たぶんだけど、一二三四五……とかで始まっていたと思う。そのへんはまぁいちおうできた。でも僕が驚いたのは、一年の漢字の半分くらいのところですでに、分からない漢字が出てきたことだ。

記憶が定かじゃないから、もしかしたら二年生あたりだったかもしれないけど、とにかく低学年のところで僕は躓いた。

僕には漢字を覚える気がなかった。いいえ、正確に言い直す。僕は何かを学習するという気がなかった。興味のある物事にしか感心を示さなかったし、テストでは知っていることしか答えることができなかった。もちろんテスト勉強なんてもの、したことなかったし、そもそも「小学校のテストが、どのタイミングで行われているのか」 を知らなかった。あれって、どういう風に行われていたの? テスト範囲になる授業が終了したら?

僕のこの気質は今も変わっていない。どういうふうにしたら暗記ができるのかってことは、大学の認知心理学の授業なんかでもおもしろく聞いて、理屈でも分かってるけど。それでもやっぱり僕はものを覚えるのが遅いし、本を読んでも穴だらけになる。

ちゃんと目標を立てて勉強をできる人が羨ましいと思う。勉強したことを自分の血肉として、その知識を衰えさせず、さらに強化していけたり、他の分野とつなげることができる人が羨ましい。そういう、よい連鎖が続く人、続いているんだろうなと思わせる人を見ると、僕は本当に苦しい。僕は立ち止まったままだし、歩き出そうとしても遅い。走り出したら転ぶ。近道をしたつもりで迷子になり、結局最初の道まで戻ってやり直す。そう言っている間にも時間は進み、ここに立っている自分も、今まで勉強してきたことも錆びついてしまう。

これでも僕は比較的に楽観的な性格だから、人間ひとりひとりには、それぞれに積み重ねてきたものがあるって信じているし、自分自身も、読んできた本とか、聞いてきた話とか、普段の生活とかで身についている、自分にしかない優れたところがあると思ってる。たとえば、意外と多くの大人が、文章をちゃんと書くことができないということ。もちろん僕だって、それほどうまく書けると思っていないけど、文法的に間違うことはそんなにないし、ちゃんと文章の終わりには句点をつける。でも世の中には、箇条書きでしか文章を書けない人というのが結構な割合いる。他にも、文章が長くなると、文法的にありえない感じの文章を作ってしまう人も多い。

でもそれがどうしたって言うのだろう。という気持ちになる。頭のいい人に遭遇すると。もう僕は駄目なんだなって気分になる。そんな、個人の持ってる細かな傾向なんてもの、本当にただの傾向でしかなくて、傾きでしかなくって、ちっとも前に進めてないんだって気になる。

それでもまぁ僕は比較的に楽観的だと個人的には思っているわけで、人間、前に進めたから何だって言うのかって自分を慰めつつ、長くなりすぎる愚痴をそろそろ切り上げて明日に備えて寝ようと思うのです。