時を染める

たまには日記を書こうと思う。最近では個人的な日記もほとんど書かなくなって、このブログももう、ひと月以上更新していない。下に書いてある、今回失敗したらもうゲーム制作を諦めるという宣言も、もうほとんど失敗が確定しているようなもので、僕はものごとが進まないことに絶望しているところです。進まないんじゃなくて、進めてないんだ。手をつけてさえいない。

時間がないという言い訳を使えないくらい、僕は社会人にしては時間が有り余っている。年末年始で少し仕事は立て込んでいるけど、残業するほどの仕事もなく、本社でのんびりと仕事をする日々。ストレスもなく、上々である。

いや下々である。何度も言うように、人間は悩みがなければ、悩みがないということに悩むものだ。人間はー、とか言ったけど、僕が特殊なのかも知れないし、そうでもないのかも知れないけど。

とにかく、僕には時間が有り余っているのだけど、それが学生時代よりも少ないことに不満を感じている。欲を言えばキリがないし、時間があっても待っているのは惰眠だけだ。さて。

年末だ。去年の今頃僕は何を考えていただろうか。少し日記を見返してみる。長く日記を書いていると、去年の今頃は、その前の今頃は、と振り返ることができて便利です。そして何も便利じゃない。気分が沈むだけだ。そこにも僕は同じようなことを書いているはずだからだ。

個人用の日記を書こうと思って始めたら見事に三日坊主になった。

何か書かなくちゃいけない気がしたのだけど、そんなことはないんですよね。大丈夫。僕が何かを書かなくたって。書いたって誰にも読んでもらえないのだから。

友達が書いたと喜んで見せてくれる小説を律儀にちゃんと読む人間が、この世のどこにいるのかという気分になる。そして、それは実際本当のことだ。僕だって読まなかった。バカにするときは読んだけど。

これが去年の今日の日記である。笑ってしまうくらい書いていることが同じなので、僕はもうきっとこういう文章しか書けない人間なのだろうと思う。