夢についての物語

すうっと抜けていく風のような歌が僕の心をぐっと静かに押し沈めていく。僕は自由に動ける身体でもって、この泥沼のような日常を生き続けなくてはならないことに、日々絶望を感じるのだった。

さて、じっさいのところ人によって希望というものは様々であろうと思う。それは様々でありすぎるので、たぶん僕の希望と同じものを持っている人間は、そんなに多くないんじゃないかって思う。それはもちろん僕と同じような希望を持っている人間は無数にいるということの、別の表現であることは言うまでもないことであり、そもそもこんな意味もない言葉を連ねる必要がないのだ。

僕はそして薄れていく自身の自意識と涙脆くなっていく自身のストレスを貯めがちな身体について、とくに思うところもなく日々を生きているのだけど、それでもやっぱり冬の朝は寒く、それにもまして給料のためにスーツを着込んでよく分からないところへ行ってよく分からない仕事とも言えないようなことをするのが、たまらなく、自分で思うより寒い、そんな気がする。僕は、寒い冬は好きだしスーツを着るのも好きだし、もちろんプログラミングも仕事も人と会話するのも好きだ。でも僕は毎朝起きて職場に向かうのだけは嫌だ。最低の気分になるからだ。最低の気分だ。こんなに嫌な気分は、そうない。もちろん他にも嫌な気分にさせられることはいっぱいあるけど、日常的に嫌な気分にさせられることなんて、この通勤の二文字と、それが与えてくる感情だけだ。

僕は物語を持たないだろうか。この物語というのは狭くて深い意味での物語だ。つまり、一番好きなアニメは何かって話だと思う。僕は物語を持っているだろうか。僕は持っていないんじゃないかと思う。だから僕は毎朝がこんなにもつらい。いや、それは言い訳に過ぎないでああろう。僕が毎朝をつらく思うのは、自己啓発の失敗にこそ原因があるのだ。僕は毎朝外に出てランニングすればよかったのだ。今からでもそうするべきで、そうしないのであれば電車に飛び込んでさっさと死んでおくべきだったのだ。なぜそうしなかったかと言えば、僕は大学生になるまで切符の買い方を知らないくらい電車に乗ることがなかったからだ。今でも切符の買い方は分からない。もし中学生のころに電車で通学していたら、きっと僕は電車に飛び込んで死んでしまおうと考えているところに、かわいい女の子が声をかけてきてゆくゆくはその子と付き合うことになっていたし、今頃その子と結婚していただろうなって思って電車に飛び込んで死んでいると思う。

とにかく僕は最近ここんところ泣いてばかりのような気がする。これは身体を動かさないから、そのせいで情緒不安定になっているのだろう。心身相関。もちろん近親相姦ではない。