勉強ができないっていう、いつもの話

僕は勉強が苦手で、とくにできないのが暗記だった。暗記ができないっていうのは、特別な理由がない限り、それはただ覚える気がないだけなのだと、この歳になってやっと分かってきた。分かったところで、今だって暗記は苦手だし、過去に戻ってやり直しても無駄だろうとなって思う。

暗記できない理由として、特別な理由ではないけど、少しだけ変な理由ならある。漢字の書き取りを漢字を覚えるためにやるってことができなかったのだ。小学生のころ、ノートの一行に同じ漢字を続けて書くという自習を僕だってやらされた。でも僕は一行書いても覚えられなかった。というより、そうやって書くことで覚えられると自分でも思ってなかったんだと思う。それはただの作業だった。「立」を書いて「木」を書いて「見」を書く。それをただ作業としてやっていただけだ。

何回書いたって覚えられない漢字をどうやって記憶すればいいのか。僕は途方にくれていた。というのは嘘で、僕は何も考えなかった。勉強ができないということをあまり気にしてなかった。勉強ができないということより、勉強ができないと思われることのほうが嫌だった。勉強ができないなんてのは隠しておけるものだし、隠せなくたって誰も、そのことで馬鹿にしたりしてこなかった。勉強ができなくてバカにされる人間は他に沢山いたというのもある。

いつだったか忘れたけど、中学年か高学年か、先生から漢字書き取りの特別プリントをもらったことがある。一年生から今の学年までに学習する漢字(それと対応した読み仮名)が書かれている数枚のプリントだった。試しに漢字を書いてみると、僕は一枚目から書けない漢字があった。一年生で習う漢字でも、かなり書けないものがあった。そのことについて僕が今でも覚えてるってことは、そのことについて問題に思ったからだろう。情けないとか、そういう。

とはいえ僕は、それで勉強に身を入れるということはしなかった。宿題なんてだいたいやらなかった。そのことで叱られるのは嫌だったけど、叱られた具体的なエピソードは覚えていない。

宿題について覚えているのは、いくつかのエピソードだけだ。

  • ちゃんと終わらせた宿題だったのに、家に忘れて、そのことを先生に謝りに行ったこと
  • 溜まりに溜まった宿題を一晩で終わらせようと、ページあたりの処理時間と、残りページ数を掛け算すること
  • 国語で出された音読の宿題を母親に聴いてもらったこと

叱られて泣いたこともあった気がする。でも覚えていない。叱られるのが嫌いな僕が、どうしてそのことを覚えていないのか疑問なのだけど、もしかしたら実際にはほとんど叱られていないのかもしれない。思い出せないので何とも言えないんだけど。

勉強について意識し始めたのは、やっぱり中学校のころかもしれない。中学生というと英語が始まるわけだけど、僕はアルファベットを覚えられなかった。とくに小文字が! たった二十と数文字の記号が! (みたまえ、いまだに英語のアルファベットが何文字あるかも覚えられない僕を!)

そのことについて僕はとても落ち込んだし、今でも落ち込んでいる。だからこのことについて、僕はよく日記に書く。たぶんここにも何回か書いてると思うけど。

中学の頃、国語の先生が若かった。彼女のことが僕は好きだったので、国語の成績は悪くなかった。悪く無いと言っても評価Aを取ることはなくて、せいぜいBだった。授業態度が悪いとか、宿題をよく忘れるとかそういうのもあったんだと思う。テストで平均点以上を確実に取れるのは国語くらいのものだった。

英語の先生も、わりと若かったし眼鏡だったので好きだった。ただあんまり顔が可愛くなかったし、女の先生にありがちな嫌味っぽいところも嫌いだった。ただ、同じような年齢になって思うのだけど、彼女はたぶん人付き合いが得意じゃなかったんだなって思う。教育関係の大学行って、そのまま教師になるなんて、コミュニケーション能力の向上が特別期待できる進路じゃない。それが特に期待される職業であるにも関わらず、教師の中には対人面で問題のある人が少なからずいる。

などと好きでも詳しくもないのに教育のことを語り始める傾向の強い僕なんだけど、とにかく英語は苦手だった。中学生の頃は平気でテスト20点くらいだった。一度、国語と英語で80点くらいテストの点数に開きが出て、こんなに離れているのはアナタくらいだと担任教師に言われて得意げになったこともあった。

ただ、英語と国語で特別に国語をよく勉強していたわけじゃない。国語は日本語ができるので授業が理解できるだけだ。英語は理解出来ないのでテストもできない。簡単である。あと、中学生頃から小説がおもしろいということを大発見したので、それで文章を読んだり書いたりするのが苦痛じゃなくなったというのもある。

理数系科目の話をしてなかったけど、記憶にないので書けることがない。テストでは、簡単な計算や基本問題のところをやって点数を稼いで、応用問題を適当に答えて毎回間違えるパターンだったと思う。赤単にならないように用意されたゾーンで何とか凌いでいく感じ。

社会科は小学生の頃からまったく興味が沸かなかった。嫌いな分野ではないはずなんだけど、たぶん毎回先生が嫌いだったのだと思う。社会科の授業はつまらないと今でも思う。とくに、一回の授業でひとつの都道府県について勉強する授業がクソつまらなかった。あれは何年生の授業だったんだろう。

体育は嫌いじゃなかったけど、中学高校になるとスポーツが得意な人が活躍する感じなので、あまり好きではなくなった。中学ではテニス部だったけど、テニスの授業はないし(あったかも?)。サッカーやバスケットボールほど、経験者の態度が気に食わなかったスポーツも珍しい(個人的な見解でありry)。複数人と関わるスポーツをやっている人は、人を「使える」「使えない」と仕分けするので、それが気にくわないんだと思う。でも仕事ではそれがあたりまえで、それをあたりまえにできるから、いわゆる体育会系が就職に有利なんだろうと勝手に思ってます。

僕は中学校ですっかり落ちこぼれだったので、高校は学力の低い人用のところに行った。この選択が良かったのか悪かったのかいまだに分からないけど、当然のことながら成績は悪くなかった。まわりはみんな、当然勉強なんてしない。生徒・教師ともに赤点回避が目的であり、学校を辞めないとか辞めさせないことが大事で、学力アップとか進学率アップとか、そういうことを気にしている高校ではなかった。

友達とテストの点数を競ったりして、勝った科目で優越感に浸ったりとか、そういう学生生活で、苦手な科目(英語)でも赤点を取らないから劣等感を感じないで済んだ。それだけ簡単なテストでも、ほとんどテスト勉強しないでも人に勝てる科目と、その逆の科目があった。人には得意不得意ってのが本当にあるものなんだなぁとか、そういうところで感じたんだけど、結局それは興味があるか無いかくらいの違いでしかなかった。興味があるってのは大事なのだな、とか。

赤点を取らないと言ったけど、実際には補習授業を受けたりそういうこともあったので、やっぱり僕は勉強に向いていないんだと思う。興味のない物事を見ないようにするのが得意。

勉強に関することは、ここにもよく書いてて、この文章と同じようなことが書かれているはず。僕の中ではおもしろい問題でありテーマであるので、今後も考えていきたい。どうして僕は成績が悪いままで平気でいたのかとか。それは当然、勉強するのがめんどくさかったからだ。今と同じ。

自分自身の問題点について考えるなら過去を振り返るのがいいだろうと思って考えてみたけど、予想以上に今まで書いてきたことと同じ事をかいてしまった。実りの少ない作文でした。終わり。