年が開けました

自分が何をしたいかということや、自分が何をできるかということを真面目に考えなくちゃいけないと思う一方で、そんなことを考えるのは無駄だ無意味だという声が僕の中にある。

否定する言葉は僕にとって、決してマイナスだけのものではないと思ってて、そのひとつの理由は今まで過ごしてきた時間について言い訳をしたくないという意地なんだけど、それを除いたとしても、実感として僕は、否定する心によって踏みとどまっている、ように思う。

自分が感じている自分と、志向していることの違いというものを最近よく考える。

僕はたぶん作業に向いている。何かを考えるよりも、何かを作る作業のほうに向いている。覚えてきた技術、というか手癖みたいなものでも、アタリを付けてから形を作りながら考えるほうが得意なのだろう。その傾向が他人と比べて強いか弱いかは分からないけど、自分ではそう思ってる。

そういったわけで、僕はあまり複雑な思考に向いていない。比較的、一本道で考えているところがあると思う。だけど僕が志向してる僕っていうのは、つまり理想の自分ってのは、複雑なことを論理的に考えられる自分だ。

そんなもの目指してバカらしいと思う。でも、それがなかったら僕は難しい問題に対して興味を示さなかったはずだ。今だって難しい多くの問題に対して僕は見聞きしないように、考えないようにしているけど、それでも、とりあえず理解しようとしてきた(矛盾してる)。難しい本でも、とりあえず目を通してみようと思った。もちろん、本当に読めないような本は手に取りもしなかったし、難しい本を読んでる自分に酔ったり、他人に頭良く見られたくて意識が高いように見せるために本を読んだこともある。

否定が支えになるって言ってるのは、ポジティブであることを盲信することへの否定でもある。僕は躁鬱気質だから、


(中略)


で、やっぱり一番問題なのは、僕は僕自身を語ることについて否定的ではないってことだ。自分語りばかり。それを否定するつもりはないけど、ちょっとせつない。

とりあえず準備して、少しは有用なことを書くブログを始めようと思っているので、期待しないで待っていてください。僕が期待しないで待っててって言う時は、本当に待ってるだけ無駄になるので、実際は待たないでくださいと言うのが正しいと思う。

あけましておめでとうございます。今年は、少しは頑張りたいと思う。