気が立ってるから少しだけ文章を書くこと

運動をした後とか、お酒を飲んだ後とか、神経が高ぶっていろいろなことを考えてしまう。それで、良いことを考えられればいいんだけど、大抵は不安感が増幅されて、あれもこれもそれもどれも、とにかく怖くてしかたないって気分になる。

ゆっくりできる時間にゆっくりできない。不安と緊張が続いている。それで仕事のミスが減るならいいけど、僕の場合、嫌なことから目をそらす能力ばかりが強くなっていて、不安や緊張を強いてくるこの労働というものをとにかく感じないように見ないようにしていたら、信じられないミスを何度かやらしてしまったのだ。僕はもう泥沼なのだ。泥沼だ。

これからどうやって生きて行ったらいいのか分からない。だけどそんなことを誰かに相談してもしかたない。というより、べつに自分でもそんなに悩んでいるわけじゃないんだ。どうやって生きていくかって、どうやってか生きていくしかないんだって思う。もちろん、自分というものを大事に、自分のしたいことをして生きていくっていうのは大事だと思う。だけど自分を裏切り続けてきた僕には前向きさを素直に信じることはできないのだ。ゆっても、これも錯覚だと思うけど。

本当はこんな文章書きたくないって思う。素直な文章が書きたい。というか、詩を書きたい。でも詩を書きたいと言い続けて一度も書いたことがないんだから、僕は詩人ではないのだろう。きっと。ゆやゆよん

とてもじゃないけど、まともに生きられるきがしない。だけどそれが、他人から自分はどう思われているかっていう点での問題なら論外だ。バカバカしいのだ。もちろんそれがなければ僕の社会性なんてゴミクズのようなもので、外も歩けないだろうけど、それでも論じたくはない。他人によく思われたくて、悪く思われたくなくて行動するなんて。考えただけでも悲しい。

僕は、自分が信じる僕が、僕の事を裏切ったからこうやって愚痴を書いている。それ以外の理由であって欲しくない。僕は時間を無駄にした。無駄にし続けている。もっと効率的にできたのではないか、ではなくて、僕は文字通りやらなかったのだ。

裏切った自分を許せない。死んでしまいたい。結局他人を気にする自分も、いなくなって欲しい。とても悲しい。明日が来なければいいと思う。毎日休みならいいのにって思う。ずっと死ぬまで休んでいたいって思う。愚かだけど。