他人に教えるのが好き

僕は誰かに何かを教えるのが好きなんだけど、教師ではない。教師ではないけど、いちおうコンピューター関係の仕事をしているので、そういう機会けっこう多い。

手順を教えたり、考え方を教えたりするのってけっこう昔から好きで、友達に一般論で説教したり、あるいは一般論に反論してみたりすることが多かった。どうして一般論を使うかっていうと、当たり障りがないからだ。一般的な事柄っていうのは肯定しても否定しても大したものではない。

だけど僕は仕事が嫌いなので、仕事で他人にものを教えるのは好きじゃない。マニュアルとか作るのすごく嫌いだし、書式の決まったマニュアルを作るのはもっと嫌いだ。指定された書式なんて、たいていはクソみたいなものだしうんざりする。とはいえ、たしかに書式に従わずに書かれた文章というのは読むに耐えないことがある。書式があったほうがまだマシなのだ。嫌な感じだけど。

好きなことだからって、それがいつでも好きなわけじゃない。僕は文章を書くのが好きだけど、好きな文章を書くのが好きなのであって、嫌いな文章を書くのは嫌いだ。

解決策というか、僕なりの方法としては、すべて自分の好きなように文章を書くというものだ。書式というか、書き方があるとそうも言えないけど、でも世の中の文章ってのは意外といいかげんなもので、僕一人が好き勝手に書いたからって、ちょっと先生とか上司に怒られるくらいで、たいしたことじゃない。なんにせよ、とりあえず形としての文章が必要とされる場面では、文章なんてどうだっていいのだ。これは嫌な考え方だけど、文章を書くことそのものが好きな僕にとっては悪くない考え方だ。

世の中の文章のひどさって、僕が語るのはちょっとおこがましいと思うけど、思っていたよりもすごい。文章を書くのが得意な人というのはいるけど、たいていの人は下手だ。驚くほど。ブログでは多くの、文章を書くことが仕事でない人が、文章を書いているから、錯覚のような事が起こる。たいていの人は、とりあえず文法通り文章を書けるし、句読点は打てるし、簡単な漢字の用法は知っている、と思い込んでしまう。だけど仕事でメールをやり取りしたり、他人の書いたマニュアルを読んだりすると、意外と書けない人っていうのは多いように感じる。もちろん僕も急いで書くとかすると誤字とか文法がおかしいとかよくあるけど。

他人に伝えることの難しさとか、世間で行われている、そういう文章のいい加減さとか、何となく好きだ。これはただの優越感だ。文章を書けと言われても、難しいものでなければ書けるという驕り。もちろんこれを自信だと言ってもいいんだけど、だけどやっぱり難しい文章は書けない。こうやって適当な文章を書くのは簡単だけど、敬語を使ったりとか、文章全体のまとまりだとかを考えさせられるのは、けっこうつらい。この日記だっていつも同じような文章を使って書いているし、代わり映えがしない。変化のあるものが書けない。

それでまぁ飽きたからこうやってぶった切って文章を終わらせるのも仕事ではやっちゃいけないことだし、なんにせよ仕事はめんどくさいし、働きたくないし、すぐにでもどこか遠くでのんびりしたい。