美しい世界のこと

その映像が美しいということに僕は気づくことができなかった。美しいということは分かっていた。そこには絵の技術や感性が必要不可欠であることも見て分かった。だけどその映像を見た後に僕が感じたことは別のことだった。そうではない。感じたことはごく一般的なことだった。ただ美しさというものを見落としていた。

美というものへの関心が僕には僅かしかないのかもしれない。それはひとつのセンスの欠落だ。それに惹かれずにはいられず、触れないでいることはありえない。そんなセンスが僕にはないのだ。

真・善・美のどれを取ってみても僕にはそこに対する興味がない。たんにかすかな執着と期待があるだけだ。僕の周りにある世界は何時でもそのようなことばかりだ。なににも興味が持てない。気づくこともできない。あるとすれば気づける自分になりたいという希望だけしかない。

日常は日常として終わる。そんな日常のなかでも何かに気づけるようなセンス。そんなものが自分の心にもあればいいのにと思う。それは無いものを期待している愚かしい思いなのだろうか。僕は僕の日常の枠から越える何かを探しにいくことができないのだろうか。

なんにしても僕の精神と身体は僕自身にとって重すぎる。そのような諦めを若さが失われたときにさえ僕は持ち続けているのだろうか。だとしたら今よりつらい思いで、そのときを迎えるのだろう。だから今のうちに……なんて思う。