人間関係のジレなんとか

人生に疲れました。 楽なアルバイトを探しています。年間100万か… - 人力検索はてな

これ読んでいて思ったのだけど、人間関係が必要なさそうなところにコミュニケーションの上手く取れない人間が集まると、酷い状況になるのではないか、という。

コミュニケーションが上手く取れる人っていうのは、人との距離感が上手く取れる人と言い換えることもできるかもしれないですよね。たぶんコミュニケーションというのは量ではないと思うので(仕事上では特に、そうであってほしいという願望でしかないけど)、人間関係がないからと言って、人間関係が良好であるかどうかは、また別の話でしょう。

そう、良好かどうか。この人も、たとえば過去に働いていたところでの人間関係が、バランスの取れている感じなら、きっと今こうして楽で人と関わらない仕事を探すこともなかったんじゃないかと思う。考え方としては安易だけど、やっぱり人の傾向って簡単に決まってしまうものでもあると思う。

完全に人と会話をする必要のない職場というのも憧れる。きっと世の中、人と関わるってことは、良い点よりも悪い点の方が多いのではないかと思う。もちろん、良い点に社会性をプラスするなら、それは良い点の方が多くなるでしょうけど。お金がないと生活していけないですからね。でもそういう制約がなければ、人は会いたい人にだけ会っていたい。そう思う。だいたい。

僕は見知らぬ人と話したりすることが好きなんだけど、それは上手くもないし、相手が酷い人間であることだってあるかもしれない。僕はいまだに、酷い人間というものに会ったことがない。忘れているだけかもしれないけど。いや、まぁ、確かに近寄らないようにしてきたかもしれないけど。それでも、生活する範囲で交流してきた人の中には、それほど酷い人はいなかった、ように思う。

いやしかしどうだろう。僕にとっては会社の大半が酷いものに思えてならなかった。就職活動中、よく思うのは、とにかくその人間の能力のつねに上を求めるという姿勢である。それは立派なことかもしれないが、長くどうしようもない学生生活を送ってきた僕にはどうしてもうんざりせずにはいられない光景だった。

もっと言えば、本音と建前がこれほどまでに離れてしまっているのに、まだそれが通用するし、今後も通用しそうなところだ。こんな世の中で生きていかなくちゃならないと思うと、早くもすべてをやめてしまいたくなる。


でもそんなことを思っていると付け込まれる。上に書いた人間関係と同じだと思う。ダメな人間はダメなところに押しやられ、さらに過酷な状況を背負わされてしまう。人間不信の人間は良好な人間関係を築けないがために周囲に相談することもできず響きいい言葉に騙されてしまうなんていうのは、分かりやすい展開だ。

だからそのために、きっと人は戦わなくちゃいけないのだと思う。僕もいつまでも逃げていられるわけじゃない。逃げるなら逃げる方向をよく見定めなくちゃいけない。