いつか同人誌に載せたリトルバスターズのSSが見つかったよー

おそらく僕がまとまりのある文章を書いた最後の作品であろう。

比較的長いので「続きを読む」にしときました。

本文

 ふわりと水の上に浮かぶように私はまぶたをひらきました。
「くーちゃん」
「小鞠さんですか?」
 妙にスッキリと目覚めた私の前には、小鞠さんが座っていました。よほど楽しいことがあったのでしょうか、にこにこと笑顔を浮かべて、横になった私の目を覗き込んでいます。
「私は、小鞠さん? くーちゃん惜しいっ。でも違います」
 得意げな顔で小鞠さんは否定しました。だけどどうみてもやっぱり、小鞠さんにしか私には見えません。
 戸惑っている私の表情を見て察したのか、小鞠さんは正解を教えてくれました。
「私は黒小鞠さんなのです。ブラック、ビターな大人の味、なのです」
「ぶらっく……、びたぁー、なのですか」
「そぉーなのです」
 よく分かりません。
 困惑から横になったままでいましたが、寝たまま対応している今の格好が変だと思い、起き上がることにしました。
 するとおかしなことが起こりました。
「た、立てないですっ!」
 いくら手足に力を入れても、四つんばいにしかなることができません。怪我や病気をしているのかと怖くなり、背筋にぞっとした感じがしました。
「混乱しないように言っておくと、くーちゃんは犬になっちゃったんだよ」
 立ち上がれない気持ち悪さから、私は恐怖で顔が強張っているはずです。そんな私を前にしても小鞠さんは、ずっとにこにこ笑っているだけです。
 小鞠さんのその様子で私は、理由は分からないけど安心しました。小鞠さんは事情を知っていて穏やかな顔をしている。だったら心配する必要はないのだと。
 しかしそんな考えは間違いだったようです。
「くーちゃんは犬になってしまいました。さぁ、これからどんな冒険が、くーちゃんに待ち受けているのかっ!」
 とつぜん真剣な顔をして小鞠さんは叫ぶと、たたたっと私のそばを離れて、どこかへ言ってしまいました。
「こ、小鞠さん! どういうことですか! 私、どうなっちゃったんですか!?」
 叫んでも、小鞠さんは戻ってはきませんでした……。

 小鞠さんがどこかへ行ってしまったあと、私はもう一度立ち上がってみようとしました。でもやっぱり両手と両膝をついた姿勢から立ち上がることはできません。少し頑張れば、膝を持ち上げてつま先と手で立ったり、手を地面から離して膝立ちしたり、そのくらいはできるようです。
 そして、なぜ今まで不自然に思わなかったのか不思議でならないのですが、私は服どころか下着もつけていませんでした。丸裸です。
 これでは、まるで犬です。小鞠さんが言っていたことが本当になってしまったようで、私は恐怖と不安で身体が震えてしまいます。
「リキ……リキ……」
 やさしくしてくれたリキ、不安な自分を支えてくれたリキ。誰よりも先に、頭には恋人の顔が浮かびました。私を救ってくれた、やさしいリキ……。
 そんなことを考えていると突然、足音が聞こえました。私はその足音が誰の物なのか瞬時に理解します。自分でも驚くべきことですが、分かってしまうのです。本当に私は、犬になってしまったのでしょうか。
 この足音はリキです。間違いなく、リキです。
「クド、どうしたの?」
 私の部屋にリキは入ってきました。どうして女子寮にリキが入ってこられるのか、そもそも今部屋に入るときリキはノックもしなければ、ドアを開けることもしませんでした。
 そう思ってみて初めて、ここが女子寮の自室ではないと気がつきました。何か小屋のような、閑散とした場所。
 ひらめくように「犬小屋」という単語が私の頭に生まれました。まさか、そんなはずが……。
「どうしたの?」
 リキが私の横に座って私を抱きかかえます。抱きかかえられると本当に犬になったような気持ちです。裸なのに恥ずかしくないのは、リキと私が少なからず肌を重ねた間柄だからでしょうか。でも普段ベッドで裸で抱き合うときにこんな気持ちにはなりません。もっと恥ずかしかったはずなのに……?
「そんなに悲しそうな声で鳴いて、どうしたっていうの?」
「リキ! リキ! 変なんです。立ち上がれなくって!」
「わぁ、こらこら、じゃれるなよ。お腹すいたのか? とりあえず、まずは散歩に行こう」
「リ、リキ!?」
 言葉がまったく通じていません。
「こら、暴れるなって」
 リキは小屋の隅から犬を繋ぐリードを取り出すと、いつの間に着いていたのか、私の首輪に取り付けました。
「リキ、おかしいです。何なんですか、これは」
 混乱して私は、四つ足の状態もかまわず暴れました。
「本当に、どうしたんだよクド……」
 暴れる私を叱り付けるようにしていたリキは、必至さが伝わったのか横に膝を突いて私を抱きしめました。
「大丈夫だよ。今日は天気もいいし、絶好の散歩日和だ。散歩をしたらご飯を食べて、そのあと一緒に遊ぼう」
 そういうことじゃないのです、リキ。
 そう思っても、声に出してもリキに伝わりません。私は悲しくなります。
 なるはずです。
 なるはず、なのに。
 どうしたことでしょうか。私は悲しくなるどころか、抱きしめられて安心しているのです。
 そんな場合じゃありません。リキは私を犬だと思って心配しているのです。それなのに抱きしめられただけで嬉しくなって尻尾を振っているなんて……。
 ……尻尾?
「さぁ、行こう」
 私が落ち着いたのを見て連れて行こうとするリキ。引っ張られながら私は微かに変な気持ちを胸に自分の背中を振り返ります。
 そこには、左右にふりふりとゆれる尻尾があったのです。

 裸で外に出るなんてとんでもないことです。しかしリキのほうが私より力があります。私は難なく外に連れ出されてしまいました。
 さっさと私を引っ張っていくリキ。最初は膝がすりむいてしまうと心配だったのですが、なぜか私の膝は足の裏で歩いているのと同じような軽やかさです。どういう力が働いているのか、道にある小枝や小石を踏んでも痛くはありませんでした。
 ですが恥ずかしさはそのままでした。私は裸で学校の敷地を歩いているのです。狭いところでは何度も後ろを振り返る。広いところに出ようとすると足がすくむ。そしてよく確認してからでないとダメです。
 そんなことはお構いなしに、リキはどんどんと先に行こうとします。私はできるだけ抵抗するのですが、リードを引っ張られると不思議な気持ちになって、素直についていかなくちゃならなくなります。
 そして、恐れていたことが起こりました。
 音や空気から、今が早朝だということは知っていました。だから、もしかしたら人にも会わないでいられるのかもと希望を持っていたのに……。
「くーちゃん、げんきー?」
 ですが、そこにいたのは小鞠さんでした。
「こ、小鞠さん! これはいったいどういうことなんですか! 私はどうなっちゃったんですか!」
 私は必死になって叫びました。今では、この状況は小鞠さんが悪意からしかけたものではないかなどと疑ってさえいました。目覚めたときに見た小鞠さんは、確かに何かを知っている様子だったからです。
「わぁ、くーちゃん、元気だねー」
 そう言って私をなでると、笑顔でリキと挨拶を交わして向こうに行ってしまいました。
 おかしいです。やっぱり、目覚めたときに見た小鞠さんは別人だったのでしょうか。そう言えば、朝の小鞠さんは黒小鞠さんだと名乗っていましたが……。
「やっぱり今日も元気みたいだな、クド」
 嬉しそうなリキを見ると、そうではないのだと反論したいのに、なぜか心が満たされるような気持ちになってきました。
 もしかして、私は本当に犬になってしまった……? この気持ち、身体の変化、通じない言葉。
 この世界には不思議なことがたくさんあります。私が犬になってしまうということも、あるのかもしれません。そう言えば、いつかリキに、クドは犬っぽいと言われたことがありました。
 でも、犬になってしまったら、あのころのようにリキの腕の中でともに眠ることはできないのでしょうか。
 その悲しみが私にとっては強すぎたようです。言葉の通じないリキを見ると、もう、何もかもがつらくなってしまいました。
 諦めてしまいたい、何も考えたくない……。
「よお……リキ、何してるんだ?」
 恭介さんが歩いてきてリキに声をかけました。
「おはよう恭介。クドの散歩してるんだ」
 私は裸である恥ずかしさから、無駄と知りつつリキの足元に隠れました。そして、無駄と知りつつ恭介さんの目を見つめました。
 もう私は犬になってしまいました。でもかなうなら、私のことは忘れないでください……。もう私にはそんな絶望的な気持ちしかありません。
「そうか。じゃあな」
 用事があるのか、恭介さんは私をちらりと見るだけで、すぐに去っていきました。
 ああ、もう私は犬なのだ。
 こうなったら、犬としての幸せを考えて生きたほうがいいのだ。
 それが犬としての、よりよい人生なのです。違います、犬生なのです。『はっぴぃ・どっぐ・らいふ』なのです。
「リキ……おはよう」
 今度は鈴さんです。鈴さんもリキに挨拶をすると、すぐに去っていきました。
 小鞠さん・恭介さん・鈴さんの三人に裸を見られて、そして裸で外を歩くことで、私はすっかり、もうどうでもよくなっていました。これもきっと犬の気持ちに近づいたということなのです。少し悲しいですが、これからの生活を考えれば喜ばしいことです。
「おお、またくーちゃんだ」
 また小鞠さんです。なんでもない再開を喜ぶように私の頭やあごの下や胸をなでてきます。胸を触られるとくすぐったいですが、犬の気持ちなのでしょうか、すごく嬉しくなってしまいました。
 いつもの、動物に触れ合う小鞠さんです。この小鞠さんが私をこんなふうにしたなんて、どうして疑ったりしたのでしょう。今では少し恥ずかしいです。
 それに小鞠さんが私を犬にするなんて無理な話です。私の今の状況も、変なものなのですが。
「そこまでです、小鞠さん」
「その声は、みおちゃん……うぐっ!!」
 一瞬の出来事。
 何が起きたのか分かりませんでした。
 まばたきの瞬間、私の目の前には倒れた小鞠さん。
 そしてそのうしろには西園美魚さんが立っていました。
「ずっと見ていました。このような勝手は許されません」
 西園さんは倒れた小鞠さんを見下ろすと、いつものとおり静かな声で言いました。
「このような勝手が許されるのなら……私ならもっとおもしろくします」
「うう……私は黒小鞠。時空のハザマに生まれたもうひとりの小鞠……うっ」
 倒れた小鞠さんは唸るように言って、また気を失ったようでした。

 走ってくる音が聞こえます。
 耳がよくなっている私は、それが恭介さんと鈴さんだと分かりました。
「おーい、リキ」
「……リキ」
 リキの前で二人は立ち止まりました。
「おい、リキ。さっきは驚いて何も言えなかったが、さすがに早朝の学校で犬プレイというは、さすがの俺でも黙っていられないぞ」
「おいリキ。……いぬぷれい? というのはしょーじき分からないが、これじゃあクドがあんまりだ。男女の付き合いというものは、あたしには分からない。けどさすがにこれは変だぞ」
「何を言っているの二人とも。クドは犬じゃないか。プレイ? バカなこと言って、恭介また僕をからかおうとしてるの?」
 ……。
 どういうことでしょうか。よく分かりませんが、鈴さんが犬になった私に上着をかけました。犬になった私に。
「直枝さん。説明しても分からないかもしれませんが、能美さんは犬ではありません。そうですよね?」
 西園さんが犬の私に話しかけます。変ですね、私は犬なのに。
「私は犬ですよ。もう言葉も通じないのです。でも私は、これから犬の幸せを探して、生きていくのです。びゅーてぃふる・どっぐ・らいふ、なのです」
「能美……そこまで調教されつくしているのか」
「クドがかわいそうだ。なんでこんなことをするんだリキ!」
 変です。まるで言葉が通じているみたいです。
「不思議ではありません。能美さんを犬だと思っているのは、直枝さんだけなのですから」
 西園さんが私に、そう告げました。
 本当なのでしょうか。
 だとしたら、私はなんでこんな格好で首輪までつけているのでしょう。
「時空の歪みのせいとは言え、気づけなかった直江さんには罰が必要です。誠に勝手ですが、黒小鞠さんの力は私が受け継ぎたいと思います。こんな楽しいことは放って置けません」
「どういうことだ西園!」
 恭介さんが叫びます。
「私も世界を好きにできる欲望には勝てません。今後はブラックみおちゃんとお呼びください」
「なんだか分からないが、美魚が怖くなったな」
 冷静な声で鈴さんがそう言うと、すぐに世界は白くなって――

 水の上に浮かぶように僕はまぶたを開いた。
「直枝さん」
「西園さん?」
 妙にスッキリと目覚めた僕の横に、西園さんが座っていた。
 機嫌がいいのか、やわらかい笑顔を浮かべて、横になった僕を覗き込んでいる。
「残念ですが私は『西園さん』ではありません。私は『ブラックみおちゃん』です。直枝さんには正真正銘の女の子になってもらいました」
「え、なんだって?」
「もうシナリオは用意できています。小鞠さんのようなヘマはしません。私が満足いくまで、せいぜい世界に翻弄されてください」
 そして僕は違和感のある自分の身体を見てみる。それはまぎれもなく女性の身体だった。

終り。