ゲームは完成しませんでした。

4月までにゲームが完成しなかったら、もうゲームを作りたいなんて言わないことにしようって数カ月前にブログに書いて、そのまま特に何もしないまま4月が来ました。今日は僕の誕生日です。

ゲームを作りたいという思いは、多分幼少の頃からあったと思うんだけど、本格的に方法や手段が見えるようになったのは中学生の頃、家にまともなパソコンが導入されたころ。たぶんWin98SE。

そこからパソコンでゲームを作ってみたいと思って、今日までやってきた。でも結局完成しなかった。特に大学生の頃は、時間はあったし、お金も少ないながらアルバイトして得たものがあったし、とにかく環境としては悪くなかった。それでも僕は完成させることができなかった。それどころか、企画段階のドキュメントさえ、まともに完成したことが片手で数えられるくらいしかなかった。その企画もことごとく途中で投げたから、企画として完成したとも言えない。計画は達成して初めて計画としての完成なのだ!

言葉でごまかして、少し寂しいこの気持をまぎらわそうとしている。ちょっと文章が嫌な感じか変な感じになるけど、記念すべきこの日だけは、あまり考えないようにしよう文章のことは。

ここで、ゲームが完成しなかった歴を語ってもいいのだけど、それももう何度もやったことがあるし、そんなことしても得るものがなさそうだ。僕がやるべきなのは今後何をするべきかちゃんと見極めることだ。というか、見極めとか決意とか覚悟とかはいいんだよね。とにかく何がしたいのか分からないこの状況を何とかしたい。

このエントリは4月1日に書こうと思ったんだけど、このことがあまりにも僕の中でどうでもよくなってて忘れてた。なんかもうどうでもよくなってた。諦めたとかそういうんじゃないんだけど、いやこれはまさに諦めたってことなんだろうな。

どうでもよくなったと言っても、それでも僕が特別な感情を持つのは、これが僕が多分一番時間をかけたことだからだと思う。絵とか文章とか、最近は楽器とか、そういうのは単体でいつでもできるけど、ゲームを作るというのは色々総合的なことだし、そういう事を僕は目指してきたわけで。ああもう文章がうまく作れない。

最近何もしてないなぁっていうのが僕の口癖になりつつある。いつもどおり僕は忙しくない。社会人になれば死ぬほど忙しくなるのかと思っていたけど、会社は仕事ないし、僕が自分から仕事を取ってきたり作ったりするほど社会的にアクティブじゃないから、やっぱり暇だ。それなりにやることもあるけど、だったらレポートの締切りに追われていた学生の頃のほうが忙しかった。

それで、何が言いたいか。とにかく僕は、もうゲームを作りたいとか、作ってるとか、そういうことを言わない。人が作ってるのに協力するとか、そういうのは喜んで引き受けたり名乗り出たりすると思うけど、自分で企画を立てたり、ようは今までのスタンスや方法でゲーム制作を続けるのはやめる。

別に僕は複雑なプログラムのゲームを作りたいとか、壮大なストーリーでとか、美麗なグラフィックで、なんてことを考えていたわけではなかった。まったくぜんぜん。僕は単純で、簡単で、適当で、それっぽいものを作りたかっただけだ。それでもできなかった。

何が足りなかったのか、っていうのは、結構考えた。その答えは仕事術的ビジネス雑誌とか自己啓発とかライフハックとか、そういうところにちゃんとあった。それで問題は解決しなかっただけだ。

そういうのが無駄だったとは思わない。仕事の仕方みたいなもの、つまり目標を立てて、それを実行するっていう、そういう方法が世の中にあるということを僕は知ってる。具体的には知らないけど、どこから調べればいいかということを何となく、自己流でも考えられる。そういう状態というのが大事ってことだ。

そういう事ばっかり言ってると口ばっかりで何も出来ない人間が生まれる。僕のようなクズが。

それでできるだけ口を開かないようになる。でもそれで生まれるのは、何も言わないクズだ。状況は良くも悪くもならない。喋らないでいるって恥をかかない代わりに失うものがきっとある。個人的にはプラマイゼロくらいに思ってる。これは感覚的な問題なので人それぞれだと思う。

たぶん、成功者と失敗した者で、同じ言葉を口から発することができる。僕は個人のゲーム制作というところで、完璧な敗者となったわけだが、それでも何でも喋ることはできるだろう。そこには経験とか、よい人間関係とか、具体的な何かみたいなものが何もない。それが大事だよねって話だ。具体的な何か。言葉ではない、という意味でもない。結局僕は言葉でしか何かを語ることができないくらいゲーム制作について知らないけど、それだってひとつの経験だし知識だ。そしてここに書いてあることは情報。価値が低くても情報だ。


でも数カ月前には、今日という日を迎えてもゲームが完成してなかったら、泣くほど悔しがるって思ってた。嘘だけど、でも少しは悔しい気分になるんじゃないかって。悔しいけど、なんかそれよりも、やっぱりいつもどおり、僕は何もできないんだっていう気持ちが切ない感じする。まぁあくび混じりだけど。

それでまぁ長々と、少ない悔しさを増幅しようと頑張って文章書いても仕方ないし、今後何をするか、少しは考えようと思う。

おもしろいことがしたいというのがある。僕は他人に感謝されることに強い喜びを感じたことがそれほどないので、ボランティアをするとか、そういう社会的な活動に興味がない。話は変わるんだけど、僕はあまりにも普通で傾向というものがないなって思ってた時期がある。性格が一般的すぎるんじゃないかという。そういうのってだいたい間違っている。そして正しい部分もある。僕はボランティアに興味はない。これはひとつの傾向だ。こんなこと当たり前なんだけど、よくわからなくなることがある。僕はそれなりに偏りのある人間だということがだ。そんでそれは大体の人間について言える。まぁ陳腐。

僕がいま、おもしろいと思っていることは何か。プログラミング関係と楽器・音楽かなぁって思う。もちろん文章も絵も同じように好きだし、そういうので何かを表現したいって気持ちも、もちろんある。趣味が広がっただけの話で。

あんまり趣味を色々と持つと、どれも中途半端になるんじゃないかと思って、絵だけを描いたり文章だけを書いたりしてたことがある。最近で言えばゲーム制作だけど。だけどあんまり関係ないと思う。むしろ、多くの分野に興味があったほうがその中にある普遍的な何かが見えるんじゃないかなって思う。

結局僕の場合はどれも中途半端で、つまりそれを思い悩んでいるわけだけど。

しかしまぁあまり他人の目を気にして、何か一分野に絞って表現活動を続けようとしても僕には無駄だったんだよね。どうせ三日で飽きるんだ。そして、三日で飽きたを十年以上続けてもゲームは完成しないってことを25歳になって分かった。分かったというか、ちゃんと認めようと思った。それは間違ったことかもしれないけど、まぁいい。諦めなければ夢は叶うっていう言葉を使いたいほど、僕はそれに情熱を向けてなかった。違う、情熱はあった。そうでなければ期限を区切り、諦める日を決めたりしない。僕は僕の中にある夢という言葉と幻想をガラスケースに入れておきたいんだ。そうして夢見てたほうが得することがひとつだけある。夢を語る作品・物語に触れたときに感動して泣くことができる。逆に言うとそれしかないので、みんなはちゃんと夢を手に握って生きるべきだ。僕も今からでもそうするべきだ。結局僕の夢はガラスケースの中ですでに腐っている。さて。

話が逸れに逸れる。気にしすぎているのは分かっているんだけど、それでも僕は自分が気にしていなさすぎると思う。僕はプロのゲームクリエイターになりたいと思ったことが一度もない。これだけはちゃんと、はっきり言える。もちろん幼少の頃には考えていたかもしれないけど、ゲームを作り始めて今日までは、そういうプロへの夢を持ったことはない。他の分野ならある。中学生が見るような夢だけど。ほとんどやったことないプログラミングを仕事でやりたいと思ったのも、ひとつの夢だ。現実的には、プログラマーシステムエンジニアの求人が多いから選んだだけだとしても。そこに憧れっていう夢があった。

でもプロのゲーム屋に夢は見なかった。色々な意味でその職業を馬鹿馬鹿しいと思う意見があると思う。でもそのどれも、僕がそれを夢見なかった理由ではない。少なからずあっただろうけど、僕のプライドを守るために綺麗事を言うと、やっぱりそのどれでもない。このへんのことに関しては気持ちの問題でしかないと思う。でも、普通ゲームが好きな男の子・女の子が持つような、そういう普通の夢みたいなものが僕にはなかった。

でもまぁたぶん、つまらなさそうってのが一番にあったのかもしれない。実際に仕事などしてて思うのは、仕事にはおもしろいところとつまらないところがあるなってことなので、まぁ仕事なんてなんだっていいと思うんだけど。というわけでプロだろうとそうでなかろうと、っていう話ですね。僕の言う中学生的な夢ってのは、そのつまらない部分に目がいかないとか、おもしろい部分が過剰に増幅されてる事を言ってるんだと思う。でもそういう気持ちってすごく素敵だと思う。僕はいつか海辺に白い家を立てて、一日中小説を書きたいって思ってる。それが一番の夢だ。もちろんそこには可愛くて美人で完璧で、少し抜けてるメイドロボが必要なんだけど。


そんなわけでいくつかの企画を並行してやっていくのではないかと思う。でもとりとめなくそれをしたら、また同じことになる。そこんところでやっぱりまだ迷ってる。そういうときに、同じ趣味を持った友達がいればいいのって思う。思うし、いた事もあるし、今もいる。というわけで、まぁやっぱり何かを作るってのは僕にとって個人的なことなんだなって思う。これは別に友達やライバルみたいな、そういう人間性を高める普遍的なアレソレを否定しているのではなくて、あまり無いものねだりをするなっていう自分へのいましめなので、気分を悪くしないでください。

今後も趣味仲間を増やしていきたいと思うし、そういう人たちに認められるものを作りたいと思うし、そうでない人にも楽しめるものを作っていきたいと思う。僕は、おもしろいと思って作ったもので、他人におもしろいと言わせたことがないんだ。とはいえ、それでも僕がこうやってこの夢を持ち続けていられるのは、惰性といえどやっぱり心地良い。心の支えだ。支えなくてはならないほど心に強い風は吹いてないけど。そのことはそのことで、いいことなので認めなくちゃいけない。逆境を求めても意味が無い。平穏が嫌なら、自分でちゃんと自分を管理するべきだ。まぁ、そうね。

とりあえず、少しは名前を覚えてもらえるような、楽しんでもらえるような物を作りたいです。名前ってのは、作者名でも作品名でも、何でもいい。文章の一節・あるひとつのラインや色使い・点の打ち方。けっきょく僕が感動したのは、そういう部分なんだと思う。もちろん単体で意味を持つものではないけど、ある何かが残る、残すってことをやっぱり僕も希望してる。

僕の作るゲームについては、来世にご期待ください。