久しぶりに来た、この場所で

僕は久しぶりに、この場所にやってきた。場所というのは少し正確ではないかもしれない。いや、正確ではなくてもべつに間違った表現ではないだろう。僕たちはウェブページを指して「場所」 と言う。実際にはデータの送受信を繰り返しているだけだ。

そんなようなくだらない喩え話をしている場合ではないのだ。僕は久しぶりに、この場所にきた。それは僕の頭の中にある、ある場所のことだと思う。

でもその場所は、あまりにも固くなってる。潤いがなくなってて、カラカラになってて、表面を撫でてザラザラと落ちた破片をこうやってつなぎあわせて文章にしている。僕はこの場所にもう戻ってこられないのだろうか。

遠い話のような気がした。僕は文章を褒められた。それが泣くほど嬉しかったわけじゃない。褒められて泣くほど嬉しかったことなんてない。もちろん、泣くほどってのは言うほど強い感情表現ではないと思う。人は簡単に涙を流すし、僕は歳を重ねるうちに、月並みに涙もろくなっている。

僕は先生に文章を褒められた。中学生と高校生の頃だと思う。でもたぶん、僕の振る舞いと文章の表現の仕方にギャップがあったから、それでだと思う。あるいは、その先生にある種の共感を与えることができたのかもしれない。自意識過剰、そしてまた過剰に用心深くあろうとする、それでいて傲慢さの透けるような文章に。中学生の頃に褒められたのは30歳の女の先生に。その頃は30歳の女教師なんて遠い存在のように思えたけど(いや、その頃はまだ29だったかも……)、今僕は25歳になり、3歳年上の姉は計算すれば28歳だ。もう遠い話ではない。普通に恋愛してもおかしくないような年齢差である。

そうなって思うのは、やっぱり彼ら彼女らも思うところがあり、僕の考えるようなこと、文章で書くようなことというのに、ある種の文体のようなものを見出したのかもしれないってことだ。大げさな物言いになるけど、べつにその言葉を僕の中で大きなものにする必要もないよね。そういったわけで文体だ。文体。

そんなわけで僕は文章を書くのが好きになった。文章を書くことに抵抗がなくなったのだ。これはすごく良いことだと思う。僕は小学生の頃に文章を書くことが苦痛でしかたなかった。なにを書けばいいか分からなかったし、どういうふうに書けばいいのか分からなかった。

文章を書くということが、それだけでストレス発散になるというのを知ってから、僕は日々日記を書いた。もちろん僕は、もっと有意義な文章を書きたいと日々思っていたけど、でも僕には自分への慰めを書き連ねた日記しか書けなかった。少しは小説みたいなものを書いたかもしれないけど、本当に少しだ。

それでまたこの場所に来た。僕はまた文章を書きたいと思った。文章を書くことで自分を慰めたいと。そしてまた、作家志望という新しい、馬鹿らしい自己紹介を得るために。

それで出てくるのはかえでちゃんだ。僕の脳内彼女であるかえでちゃん。ひらがなだと他の文字と分かりにくくなるから、楓ちゃんと書いてもいいだろう。楓ちゃんと付き合い始めたのはいつの頃だったか。高校生の頃にはもう付き合っていたと思うんだけど。

楓ちゃんは僕の彼女であり、妹であり姉であり、同級生であり、兄であり弟であり、先生でありご主人様だった。つまり僕の性的嗜好の数だけ楓ちゃんはその名前を使われた。キャラクターAだ。でもあまり楓ちゃんについて書いたお話はない。楓ちゃんはキャラクターの定まっていない、ただの名前だから使えないのだ。名前は大事だけど、毎回名前を付けるわけにもいかないから、仮に付ける名前。それが楓ちゃんだ。

楓ちゃんに慰めてもらうことも減った。楓ちゃんのことを考えない日はほとんどないけど、楓ちゃんに慰めてもらうには、この場所に来なければならないのだ。楓ちゃんはこの場所にいて、ちゃんと慰めてもらうには、こうやってこの場所にアクセスしなくちゃいけない。

この場所は文体だろうか、僕にとっての。それとも本当にただの慰めなのだろうか。何なのか、ということを考える必要はないけど、それでも僕は焦っていて……。

ここまで書いても楓ちゃんは現れてくれない。一日で会えるとは思っていないけど、会おうと思えばすぐにでも会えるのだ。楓ちゃん、僕はまたこの場所に戻ってきたから、またよろしく頼むよ。

僕は戻りたがっていたのだろうか。それともこれは一時的な、いつものヤツなのだろうか。つまりまた決心とか、決意とか、僕にとってすごくレベルの低いそれらの言葉、焦りでしかないのだろうか。また慰められて満足したら、僕はこの場所を去るのだろうか。そうしてまた固くガサガサになったこの場所を放置するのだろうか。

そうやって考えるとすごく悲しい。だから今度こそ……なんて、やっぱり言えない。それでも少しは楓ちゃんに見直してもらえるように、少しくらいはこの場所を柔らかく、潤いのある場所にして、出来れば木や花を植えてやりたい。そうなってくれることを祈る。