たくさん文章を書きたいっていう気持ち

このブログのトップにあるんだけど、マナカの写真がとてもよく撮れてると思うので、ぜひごらんください。

仕事をやめて文章を書いていたいと思うけど、その本当のところは、たんに仕事をやめたいってところだけだ。もちろん僕は文章を書きたい。いろいろな物事を書いてみたいと思う。だけど僕は今まで自分のことしか書いたことがない。だからこれが何かの役に立つとも思えない。でも仕事は辞めたい。

誰しもそうだと思う。つまらない仕事なら、つらい仕事なら誰だって辞めたいと思うだろう。僕のも同じことだ。僕は働きたくないから働きたくないだけなのだ。

でも僕はどうすることもできない。働かなくても食べていける方法を知らないからだ。そしてそれを考えても実行に移せるとはとうてい思えないし、うまくいくとは思えない。

でも先の不透明さで言ったら、きっとどこに行っても同じなんだろうってことは思う。そこだけは本当のところだと思う。家族がやっている会社というわけでもない、ただ他人が経営している会社に僕が社員としているだけだから、そこに何時までもいるというのを自分が不自然だと思うならば辞めるべきなのだ。

僕の名前には情の厚さを表す漢字が使われている。しかし情を持つなどというのは、むしろ傲慢ではないかと思わないでもない。たしかに僕は、なし崩し的に少し重要な仕事を任されているが、先輩も言っているとおり、僕がやらなければ他の人がやるだろうし、社内にできる人間がいなければ社外に出すだろう。

僕はそのことについて悩んでいるわけではないと思う。僕はそんなに責任感のある人間ではない。それらしいものがあるとすれば、それは僕個人の考える誠実さとか、恥ずかしいやつだと思われたくないという羞恥心からくるものだ。責任感じゃない。取るべき責任なんて僕にはまだないだろうと思ってるし、そう思わなければやってられないと怠惰な気持ちでいる。


僕は今の会社を辞める条件をいくつか設定した。

  • 勤め人をしなくてもお金の、あるいは将来への心配がいらなくなったら
  • さらなる減給があったら
  • どうしてもやりたくないプロジェクトへの参加の命令があったら

しかし、どれも条件としてはすでに満たしていると思う。だから結局僕が辞めたいと言いながら辞めないのは、自分を説得できないからだ。

辞めてどうするのだ。何もせずに暮らすのか。アルバイトでもするのか。新しい就職先を見つけるのか。

僕はもちろん何もせずに暮らしたい。何もせずに暮らすことについて、あまり深く考えたことはない。それを深く考えることは間違っているような気がするからだ。

皆苦労している。だから僕も苦労しなくちゃいけないのだと思っている。わりと本気で考えてるし、それを馬鹿馬鹿しいと、今書いていて思う。皆が苦労しているなんて、それは本当なんだろうか。いや、たしかに苦労話はあるだろう。だけど、僕は苦労話が直接その人間の苦労だと思っているのだろうか。そうだとすればとても愚かなことだ。

誰かが苦労している。たぶんみんな苦労しているのだろうと思う。でも苦労は苦労だ。人生ではない。馬鹿馬鹿しいけど僕は人生ってのは苦労だと思ってる。馬鹿馬鹿しいと思いながらも信じ続けようとしてる。

だからそれほど苦労していない僕がどうして苦労や、ささやかな不満で、せっかく拾ってくれた会社を辞める必要があるのだという気持ちになる。そしてそれはやはりバカバカしく、僕が嫌いな考え方だ。

だけど僕は働くことについて好ましい考え方というのを持っていない。人間関係についてならたぶんある。気に食わなければその人間と付き合わないとか、そういうのだ。でも仕事や会社、勤めるということについて僕はできるだけ何も考えないようにしてきた。それだけ僕は働くということが嫌いだから、そうでもしないと就職活動なんてできなかった。

話が散らかってきたのでそろそろ終わりたいんだけど。

それで……。

とにかく僕は、これからちょっとでも嫌なことがあったら今の生活を変えてやろうって思ってる。また何かを本気で頑張りたいって気持ちになってる。これはもちろん明日から本気出すの精神であり、まったくなんの役にもたたないんだけど、

以前にも書いたとおり、僕にとっては明日から本気出すとか、三日坊主とか、そういう怠惰さと怠惰さから抜けだそうという中途半端な気持ちしかなかった。それでも今の僕があるのはその中途半端な気持の積み重ねでしかない。そして僕は自分がさほど嫌いではないので、やっぱりそれを信じるほかない。

そういったわけで僕は少し過敏に過剰になりながら今後生きようかと思うんだけど、それって間違いなのかなって、やっぱり人に確認したくなる。だけど誰もそれに答えてはくれないだろうし、答えをくれる人間の答えを僕が納得するとも思えない。僕は自分で探したものでなければ嫌だという安い考えで生きている。それが安くなるのは自分で探した気になれればそれでいいと、自分でも諦めているからだ。本当は安くないはずなんだよね、自分で探したり選ぶってことは。

でもなんにせよ、おもしろくはない。今後おもしろくなる感じもない。どこに行っても同じなら、ここに留まる理由もない。そうだ、ここにいる必要はない。次がまた不満なら、その次を探せばいい。その次が見つからなければ、そのときこそ何もせずに生活することを考えよう。

何が楽しくて生きてるのかちょっと疑問に思う。