そろそろ会社を辞めるんですけど

そろそろ会社を辞めることになりそうです。そろそろと言ってもあと半年くらいは勤めることになると思います。なんにせよ今からそういう話をするのは気が早すぎるような気がする。とはいえ僕はもう、もう辞めさせてくれと会社に連絡してしまったのだった。

不安があるときに、いつも思い浮かべる言葉がある。それは、どこで何をしていても、悩みや不安は尽きない、というものだ。どんなことをしてても、それでいいのかって悩むし、不安で手が震えてしまう。でもそれはべつに精神的な病気ではなくて、ごく一般的な人間の感情なのだ。悩みのない国はない。たぶん。

ここで自己啓発的に、悩みには「良い悩み」と「悪い悩み」があり――という話を始めてもよいのだけど、僕が語ってもあまりおもしろくならないからやらないんだけど、

どこにいても不安に思うのであれば、勤め人を辞めるべきではないと、ここ数日はそんなことばかり考えている。僕はつまり今の会社を辞めるって言って、転職する気は今のところないってことだ。勤めるのが嫌になったのだ。

嫌になったからやめられるようなことなのかって問題がある。嫌になってやめてよいものなら、みんな嫌なことなんかやめている。

「みんな」ってことをちょっと考えちゃう。もしかしたら、あまり関係ない。みんなが我慢しているから僕も我慢しなくてはいけないってことはない。僕はバランスを取るために、そのように考えてしまう。僕はさらにバランスを取るために、みんなが我慢しているなら、それ以上もっと我慢しなくちゃいけないって思ってる。でも、そんなのおかしい考え方だ。まったくおかしい。

ちょっと文章が書けない。やっぱり日常的に文章は書かないといけないと思う。

どうやって生きていけばいいんだろうっていうような、抽象的なことばかり考えている。もう少し細かく具体的に現実的に考えなくちゃいけないのに。

ところで辞めようと思ったきっかけなんだけど、三年目には辞めたいなって当初から思っていたのがひとつ、今年に入ってやっぱり辞めたいって思うことが多くなったというのがひとつ、あと友人も似たような仕事をやっているんだけど、その人が辞めようと思ってるそうなので便乗して辞めようと思ったのがひとつ。他にもいろいろあるけど、他の理由は具体的なわりにたぶん本当のところじゃない。それが本当のところだとも思いたくない。たとえば業務についての細かい話とか。

馬鹿みたいだなって思われるのが少し嫌かもしれない。このブログ読んで、通勤が嫌だから会社辞めるなんてこいつは馬鹿だなって思われるのが。勉強が苦手なことを僕は自分でけっこう気にしていて、そのことについて指摘されるのつらいし、そうでなくても馬鹿だと思われるのはくるしい。だから、なんか確固たる理由とか、目的とか目標とかないのに、ただただ、もう会社に行くの嫌だから辞めるって言ってるの、自分でもすごく馬鹿らしいと思うし、馬鹿だなって思われるんだろうって思う。

ただ、もっともな理由がないのにもっともな理由をつけるのもちょっと嫌だ。このことを大事なことだと思っているだけに、なおさら。もちろん他人には理由として言い訳を用意している。会社の人には、近々別に会社を辞める友人と別の仕事をしようと思ってる、というほとんど嘘のような言い訳をしようと思っているし(とはいえ理由など、とくに聞かれるものでもなさそうだけど)、家族には、会社が経営的に危ない感じなので辞めることになったと、あたかも自分から辞めるのではないという、嘘ではないけど本当ではない言い訳をしようと思っている。会社の経営が、というのは確かに本当のことだけど、今業績がよい中小企業なんてほとんどないだろって感じだから、深く突っ込まれると言い訳に嘘含有量が増えて嫌な感じになるけど。

なんにせよそういう社会的な、というか個人的な人間関係的にはあまり心配していることはない。唯一心苦しいのは、就職したときに靴とスーツを買ってくれた姉のことを思うとなんだけど、まぁそれはなんだ、気にしないフリをする。

今ちょっと家も厳しい感じだから、それも僕の不安を底上げしている。ニートをやるほど僕の家は豊かではない。極めて困窮しているというほどではないと思うけど、定期的に支払いのあるものを払えないことのある状況だし、今後家族に病気や怪我があるとちょっとまずい。頼れる親戚もあまりいないような気がするし。やっぱりその点が心配。

先に否定的な方を書くのが僕の趣味なんだけど、その後に楽観的なことを書くとあまりにもあんまりだなって思う。でも文章のスタイルというのは、けっこうどうしようもない。

それで、ポジティブな方の話。しかしこれがまったくない。否定的側面からならあるので、それを書く。つまり、悩みや不安はどこにいても存在するなら、嫌だと思いながら状況を続けるべきでもないという、僕が会社を辞める一番の理由について。

結局のところ何が一番危ないのかって考えると、まず僕自身の精神的体力だと思う。僕はそういった点について、けっこう勘が働くような気がする。僕は文章を見てもらっても分かるとおり、ちょっと精神的に弱い所があって、精神的な強度も低いし、持久力もない。何か嫌な事言われれば何日も気にするし、ショックをうけるようなことがあれば立ち直れないんじゃないかって思う。それで、今の会社いると近いうちにそういうことが起きそうな気がするのだ。怪しい感じがしてしまう。実際には、べつに状況は入社時と変わらないし、最近は一時期よりも良くなってるような気もするんだけど、その一時期のヤバそうな感じというのが、ちょっと尾を引いてるというかなんというか。

だから僕は僕自身の直感を信じて辞める。学生のときにやっていたアルバイトも、同じような感じでやめたなぁって想い出すんだけど、結局べつにそのあと、そのアルバイト先もとくに変わったことはなかったみたいなので、僕の直感そのものの信用度なんて無いようなものだけど。

人並みのこともできないのに、他人より少し経験があることで、そのことを根拠に頼りにされるのが少し苦手、というのもあるかもしれない。でもこれについては、今自分で書いていて完全に馬鹿らしいと思うし、自意識過剰で僕がすごく嫌いな感じの考え方だと思う。ので文章を続けない。終わり。でもこのへんに核心があるような気もする。触れたくないところに傷はあるわけで……。でも書かない。終わり。

会社やめて、なんか好きなことするっていうのにも魅力を感じる。学生の時、教員推薦図書コーナーにあった『深夜特急』とか思い出す。あれの主人公は、たしか26歳だったと思うんだけど、僕もちょうど来年は26だ。だから、というわけでもないんだけど、そういったわけで、という気分ではある。二十代は、26になったらあと四年しかない。べつに20代と30代で明確に何かが変わるわけでもないんだけど、世間的には20代というとかなり若く見られる年齢だと思うし、いろいろ身体的な能力についても、このへんから衰えるという話はよく聞くし。ようは、いま一番期待感があるものは、自分のこの年齢しか無いんじゃないかって思ったのだ。これがじっさい、一番大きい理由かもしれない。

死ぬまで働かずに食っていけるほど家はお金持ちではない。勤めている会社は、一般的な中小企業的な問題がある。今後辞めたいと思いながら嫌でしかたのない通勤を続ける精神的な部分への自信はない。

とはいえ、これらをねじ伏せられるだけの期待が、自分の年齢にあるとも思えない。思えない時点で期待していない。僕はこれまで、腐るほど時間があって何をしてきたかって時間を腐らせただけだった。そのことが僕にすごく不安を押し付ける。僕は、いくら時間があっても駄目なんじゃないかと。

とはいえ、その時間というものが、今後どれだけ短くなるか。そして、つらい時間がどれだけ長く感じるようになるか。そのことを思うと、やっぱり僕は20代って時間に期待せざるを得ないわけで。

そんなわけで、飽きたので、もう少し具体的なことを考えてからまた書きたいと思います。