惨めさ

その時々のテーマみたいなものがある。文章を書き始めた頃からだから、たぶん自意識みたいなことが関係してるんだと思う。たとえば「諦観」とかかテーマだったこともあるし「絶対大丈夫だよ」だったこともある。

それで最近は何かって言うとタイトルのように惨めさみたいなことばっかり考えてる。自分て何て惨めなんだろう、どうしてこんな人間になってしまったんだろうっていう。

劣等感と優越感というのは同じ感情だという話があって、たしかにどちらににせよ人を羨んだり嫉妬したり、あまり良い感情ではないと思うし、似てると思う。だけど人間やっぱり優越感を感じていたいものだってのも思う。自分が他人よりも劣っていると思い続けて生きるのはすごくつらい。

どうしてこんなことになってしまったんだろうって思う。だけど、あのときこうしておけばよかったというような後悔が僕にはない。後悔というのは大事な感情だというのを最近TEDで見たんですけど、僕はまさに後悔を感じないように生きてきたんです。というよりも、自分で行った選択が最善だなんてとても思えないし、最善の選択なんてそもそもできないんだっていう、これも諦めなんだと思うけど、そういう気持ちがあるので僕は後悔をしない。

とくに、勉強しておけばよかったというたぐいの後悔というものが僕にはまったくない。長いこと学生生活で英語を学ぶことになったけど、そのあいだずっと僕は惨めだなぁと思いながらも、もっと勉強しようとか、勉強しておけばよかったなんてことを思わない。もちろん一般論的に、時間があるうちにとか、先生がいるうちにきちんと英語の勉強しておいたほうがよかったんじゃないか、っていう気持ちはある。無かったらこんなこと書かないだろうし。それでも僕に後悔の感情は湧いてこない。

僕が後悔するのは、大抵他人と喋ったあとで、夜とかに、あのときこう言えばよかったとか、この反論なら相手を言い負かせられたとか、そういう後悔だけだ。長期的に見た後悔というものがない。

それは今の生活に満足しているからっていうのもある。もちろん将来への不安はあるけど、それはたぶんどうやったって不安だろうし。そう、どうやったって生きている間は不安なんだろうっていう、そういう気持ちが僕に後悔を起こさせないようにしているのかも、とか。

それでまぁ惨めさなんだけど、たぶん孤独感みたいなことなんだと思うけど、とりあえず、ひとり椅子に座ってぼんやりしてるときに、すごく自分が惨めに感じてきて、もう何もしないで生きていきたいとか、死んでしまいたいとか思う。

ただそれも強い感情じゃないから、たぶんそれほど僕は追い詰められてないと思う。でも重症の人はみんなそう言うものらしいから、僕も油断できないかもと思うんだけど、僕は肉体や精神がつらくなると比較的逃げられるタイプの人間だと思うので、その点は自分を信頼してたりしてなかったりします。

だからどうしたいかって言うと、どうもしたくないんだよね。なんかね、いまさら何も変わらない日常みたいなことに嫌気が指しているのかもしれないです。しばらく、週末が待ち遠しいという気持ちを忘れてたんだけど、今はもう仕事中その事、週末のことしか考えてない。好きなだけ眠れるとか、一日中ぼんやりできるとか。

なんかもう詳しく書く気力も沸かない。どうしちゃったんだろうなって思う。毎日に楽しみがないのがいけないのかも。でも楽しみがあっても、楽しみって終わってしまうもので、終わってしまった楽しみのあとにある胸の穴みたいなのが僕は本当に怖い。そんで、そこに惨めさが染みこんで僕は孤独にひとり布団をかぶって日記を書く。惨め。