理解できない本を読むこと

ランダムに本のページを開いて、そのページ中に理解できない単語が何個以上あったら、おまえにとって難しすぎる本だから買うな、みたいなことをTumblrかなんかで見た記憶がある。これから学習しようというのに、知ってる単語ばかりしか出てこない本を買う意味あるのかっていう反論もできるんだけど、とりあえず、そこはどうでもいい。

難しい本、理解できない本を無理やり読み通すっていう行為は、もしかしたら時間の無駄なのかも知れないけど、まったくつまらない退屈なだけの行為ってわけではないと思う。もしかしたら楽しさだってあるんじゃないかって思う。

ナントカ情報学部みたいなとこで僕は大学生活を過ごした。いわゆるIT技術みたいな話よりも、図書館だとか博物館だとか公文書館だとか、聞くだけで退屈な分野がメインで、それも、何か新しい分野に近づけて考えるとかっていう、いわゆる先進性よりは、現実的な落とし所みたいな退屈な話題がほとんどを占めるって感じ。まぁ退屈だったけど、僕は退屈な話がそれほど嫌いではないので、概ねおもしろかった。

その中である先生が、博物館かなんかに務めていたときの話をしていた。まず机に座らされ、なんて書いてあるかまったく分からない古文書を渡される。そしてさぁ読めと言われた、という話。話のオチとしては、ずっと同じものを見続けているうちに読めるようになった、という感じ。

正しい道順で、1 から 10 へ学んでいくってことも大事だけど、パターンとか身体的感覚みたいなもので学んでいくってことも、同じくらい大切なんじゃないかって思う。

難しくて、とても理解できないような本でも、一度読んでおくと、理解はできなくても何かしらの記憶は残る。上記の先生が、情報学概論みたいな講義で最初に語ったのは、今理解できなくてもとりあえず聞いておけば、後で「そういえばそんな事言っていたな」と思い出す時があるということだった。とりあえず頭の中に入れておく。きちんと理解できていなくても、確かに一度聞いたという記憶があるだけで、後の理解の助けになる。


なんか前にも同じ事書いた気がするし飽きたから終わる。