文章のお勉強のためのお習作「Numeri篇」

一時期僕は、もっと自分のブログのテキストを強化しようと思っていた時期がありました。そのための企画として「人の文章をパクる」という練習方法を射精後のさっぱりした頭で思いつきました。右手はさっぱりするどころかイカ臭かった。

それでまぁどこのテキストをパクるかということになったわけなんですけど、まず考えたのが僕をはてなにいざなったとされる(嘘)「たまごまご」さんか「萌え理論」さんのどちらかにしようかと思ったんです。だけど正直どうかなって思いました。だってどちらも中身があるからおもしろいわけじゃないですか。今までホームページとかブログとかで僕は自分語りしかしたことがなかったので、中身のあることが書けません。ネタがないんです。オナニーのネタはインターネット探せばすぐに手に入るのに! フェラだってパイズリだってフタナリだって思いのままなのに!

そういうわけでNumeriにしようと思いました。Numeriっていうのは、世間で言うと若造なんでしょうけど僕から見たら完全なオッサンっていう、古いタイプのテキストサイト書きがやってるサイトなんですけど、僕は尊敬しています。更新はすごく遅いのですが、クオリティの高い文章を日々書き続ける様はまさしく(略)。リンクは貼りません。

Numeriを模倣して一山あてようと考えまして、じゃあpatoのクソ野郎さんは普段どんな文章書いていたかと思い返してみました。でも何も思い出せない。Numeriのこともpotoさん本人のことも、一切思い出せない。これはどうしたことか。思い浮かぶのは大塚愛が僕の股間で僕のモノをチュッパチャプスばりにしゃぶっているという光景だけ……。

ハッ! まさしくこれこそpatoじゃないのか? 僕はその時点ですでにpatoになっていた。

そんな自分がpatoになっていたなんていう、「目覚めたら虫になってた!」とかいう小説みたいなおぞましい想像はやめておこう。もう一度虫よりもおぞましいカマ野郎の文章を思い出してみよう。

まずキ○ガイの親父だ。これはすごく心に残ってるぞ。正直なところ僕は世間のNumeri評論のいいかげんさには本当にうんざりさせられている。「サラ金業者との対決がおもしろいよー」とか「やっぱりNumeriは風俗ネタだよな!」とか「ガチンコネタで身体張ってるpatoさん素敵! 抱いて!」これはない。私はpatoの本質はそこにはないと断言しよう。ではどこにあるのか。それは父親である。

そもそも僕はpatoの父親にあったことがあるのだ。このようなことをいきなり言い出しても信じてもらえないかもしれない。だから信憑性が出るように少し過去のことを語ろうと思う。

大学受験に失敗して、僕は高校卒業と同時に家にいるのが苦痛に感じ始めていた。大学はどうするのかという両親からのプレッシャー・医者になり、もうすぐ結婚もしようという順風満帆の兄からの哀れみの視線・ベッドに転がるタマ姉の抱き枕までもが僕を責めているように見えた。この歳の男子がみんな、失敗したら何をするのかといえば、まず第一にオナニーをして気を紛らわすか、それでもダメなら旅にでますよね。だから僕は旅に出ました。

ある田舎町。田園風景がまぶしいその町で、僕は旅の資金も尽き、ふらふらと田んぼ道を歩いていました。おなかがすいてまっすぐ歩くこともできない。青々と茂る田んぼからは涼しい風が吹いてきて僕の頬をなでる。ああ、こんなことなら家でエロゲをやっていたほうがよかった。どうしてナースにおまかせを積んだまま家を出てしまったのか。むしろあれさえあれば旅をする必要すらなかったんじゃないかとすら思える。僕は想像でナースにおまかせのキャラクターを脳内で犯していた。結果デスクの周りには1箱分のティッシュが小高い丘を形成していた。

しかしこれはもちろん、むなしい妄想。実際にオナニーしたわけじゃない。そもそもオナニーしたって腹は膨れないのだからどちらにしても愚かな行為であることには変わりがない。そんなことを思いながら僕は道端に座り込んでいた。僕はもうここで死ぬのか、そう思わずにはいられなかった。

ふと上を見ると、きれいな青空に赤いラインが引かれていた。朦朧とする意識を現実へと引き戻すと、それは赤い鳥居であった。道の端だと思っていたそこは神社の入り口の階段だったのだ。するとそこに一人の爺さんが現れた。「どうしたんじゃ」と僕は話しかけられたが、僕は「〜じゃ」と喋るジジイが実際にいるものなのかとそればかりが頭に浮かんで上手く返事をすることができない。「ワシはここで神主をしておる」と続けて言う。自分のことを「ワシ」と呼ぶジジイが実際にいるものか、また、それはいつどんなときに「ワシ」へと変化したのか、僕は疑問と空腹に頭が朦朧としていた。

戸惑う僕を見かねて爺さんは自分の家へと僕を連れて行った。僕は一瞬「このままだと掘られる!」と思ったが、いくら空腹とはいえ、必死に抵抗すればこんな爺さん相手にならないだろうと思っていた。今考えれば恐ろしいことだ。皆さんもご存知と思いますが、高齢男性の性欲というものは、体力こそ追いつかないから目立たないものの、ポテンシャルとしては中学生男子のそれに匹敵するほどのパワーがあります。女性の方は(そしてもちろん男性も)くれぐれも、「おじいさんだから安心ね」などといってホイホイついていかないように。確実にレイプされます。

強気で行けば勝てると思っていた僕は、やはり怯えていた。爺さんの実家に連れてかれても、端のほうでプルプルとハムスターのように震えていた。あるいはマ○コを前にした童貞チ○ポのように怖気づいていた。もちろん僕は童貞なので、この喩えは想像である。ちなみにその実家、クソでかかった。僕も将来は宗教で一儲けしたい。

こんな怯えていては逆に刺激を与えることになりかねないのだが、今はジジイの性欲対策を語っているときではないので話を戻そう。爺さんは僕がそうとうに汚れているのを見て、まずは風呂に入れと言った。でも僕は風呂に入るより先に、何か食べるものが欲しかった。ここで遠慮していても仕方ないので、僕は正直に「ステーキが食いたい」と言った。今でもこの発言はありえないと思うが、その当時も僕はすぐにありえないと思った。でも爺さんがうれしそうに「ステーキだな、よし!」と人のよさそうな顔を見せると、断ろうにも断れなかった。

あらかじめ用意されていたかのようにステーキが出てきた。僕は狐か狸にばかされているのではないかと空腹の思考で考えたが、やはりステーキの前には思考など吹き飛ぶものである。僕はステーキを貪り食い、直後に吐いた。あたりまえである。もう2日か3日は口に食べ物を入れていないし、すでに2週間前から満足な食事をしていなかったのだ。突然肉を入れたら吐くに決まっていた。

僕は見るからに高級そうな畳(見ただけで高級と分かる畳なんて、そうない)に、今噛み砕いた肉を胃液とともに吐き出した。ちょっと血も混じっていたような気がする。自分が吐いているその光景を見て僕は、ド変態の友人であるM君から借りた「吐くまでイマラチオ」というタイトルの、およそ正気とは思えないアダルトビデオのことを思い出していた。M君は他にも、たくさんの男が出した小便を女優さんが一気飲みするビデオや、高級レストランの料理にクソや小便を撒き散らしてそれを女の子が食い漁るビデオなんかを貸してくれた。正直迷惑以外の何者でもなかった。でもM君はどうしてかぶっかけには興味がなく、そのせいで僕はぶっかけマニアになったものと思われる。

そんな回想をしていた僕を横目に、その爺さんはテキパキとゲロを処理していた。僕を風呂場に押し込め、出てきたころには浴衣が用意されており、それを着て部屋に戻ると臭いもシミも残っていなかった。

「いい湯加減だったかい?」

僕はこの言葉を聞いたとたん、なぜか泣いてしまった。大学に落ちたときだって泣かなかった僕なのに、こんなところで、爺さんに優しくされて泣いてしまったのだ。きっとストレスがたまっていたんだと思う。僕は爺さんに頭をなでられて、ずいぶんと泣いていた。

泣き疲れて眠ってしまった。起きるとあたりは薄暗くなっていて、ふすまの向こうから話し声が聞こえた。老いた夫婦がなにやら会話をしている。僕は寝ぼけたままでそれを聞いていた。細部はよく聞き取れなかったけど、内容は分かった。家を出たまま帰らない二人の息子の話だった。跡取りのいない神社はもう閉めるしかなさそうだと言うこと。そして、たぶんそんな話が二人のあいだでされたのは、若い僕が二人の前に現れたからだったのだろう。こんなにもいい家に住んで、きっとお金も少なからず持っている二人。でも息子は帰ってこない。連絡さえろくによこさないのだ。

僕はこの二人のことがかわいそうでならなくなった。かなうなら僕がこの二人の子どもになりたかった。でもそんなことはできない。この哀れな夫婦の息子はただ一人しかいないのだ。そしてそれは僕じゃない。

爺さんは立ち上がってこちらに向かってきた。僕は盗み聞きがばれないように、しかれていた布団に戻った。「起きたのか?」と聞かれ、僕ははいと答えた。食事ができているというので、居間に向かうと、そこには豪勢な料理が並んでいた。でもそこにあるのは胃に優しそうなものばかりで、この老夫婦の優しさが直接伝わってくるようだった。

僕は昼間に吐いてしまったことをあやまったが、爺さんは自分こそ配慮が足りなかったと頭を下げた。本当にできた人なのだと思った。僕もこんな大人になりたいと思った。爺さんは多かったら残してもいいぞと言って、案の定僕は出されたおかずの半分も食べることはできなかった。今思っても惜しいことをしたと思う。

そして夜も更けて、僕は爺さんと同じ部屋で寝ることになった。そのときにはもうくだらない邪推は消えていたし、僕も爺さんと話をしてみたかった。爺さんの寝室にはパソコンがあって、ずいぶんと場違いだと思いそれを見つめていると、爺さんは教えてくれた。

ある日親戚がこの家に訪ねてきた。息子が帰ってこない自分たち二人を哀れんだその人は、言うべきかどうか迷っていたことを教えてくれたそうだ。それはあるテキストサイトのこと。書かれている内容はめちゃくちゃで、そこに書かれている人物は到底現実のものとは思えないほど歪んでいるが、ところどころにローカルなネタがちりばめられている。それに加えて、バカに見せかけてある種の聡明さを隠し切れない文章。これはもしかして、この家を出て行ったおまえのせがれの書いたものではあるまいか、と。

親戚は「見てもショックを受けるなよ?」と念を押して、親戚の実家に爺さんを連れて行き、そのサイトを見せた。その名もNumeri。そこに書かれている文章はまさに気の狂ったとした表現しようのないひどいものだった。しかし本人の父親である彼には分かってしまった。いくら虚構で着飾ろうとも、いくら気狂いのマネをしてみせても、これは自分の息子なのだと。そうはっきり悟ったのだ。

爺さんはいくらもショックを感じることなく、そしてまたNumeriの更新をチェックするためだけにパソコンを購入し、回線を引いてプロバイダと契約した。そこにいるpatoは、父親をキチガイだと言ったり、親友だったはずの友人のありもしない笑い話をでっち上げたりとやりたい放題だった。

それでも爺さんはうれしそうな顔をして、僕にNumeriのトップページを見せた。「おもしろいだろ?」そう言ってシワの刻まれた顔に満面の笑みを浮かべ、そのシワをさらに深くしたのだった……

Fin...


終りじゃない。そう、Numeriの本質はキチ○イの父親にあるということの意味、これで分かっていただけたと思う。patoさんの実家は実は名のある神社で、父親はpatoさんが言うようなキチ○イとは似ても似つかない人だったのだ。

これは僕の推測だが、きっとpatoは嘘をつき続けることで、みずからの歪んだ性格をなんとか外部に押し付けようとしているのではないか。だからいつも彼の日記には嘘とも本当ともつかないようなバカ話が書かれているのである。patoさんは自分を正面から見つめることができない哀れな人間であり、そのような日記をいつもおもしろいと思って読んでいる我々もまた、哀れな人間なのである。

Fin...


(この物語はフィクションであり、人名・団体名などは架空のものです。僕の性癖についてはまったくのデタラメであり、これをもって僕を変態とするには早計に過ぎる行いと言えるだろう。)