なんだろうなぁ

たとえばラノベやなんかで、美少女で可愛いみたいなことを示そうとするときに、長々とその可愛い理由みたいなことを説明されたって、読者は(というか僕が、か)そのキャラクターを可愛いなどとは思わないんだよね。主人公視点なら、主人公がそのように感じたということは読めるけど、それ以上のことは伝わってこない。

空気感なんて浅はかな言葉を使ってみるけど……たとえば世界観設定みたいなものだって、いくら言葉で説明されても、感じるところがなかったらまったく意味がない。雰囲気アニメとか雰囲気マンガみたいなのを好きになるのは、そういう設定みたいなものが、感じられるところにまで降りてきているって思えるからなんじゃないか。

お約束……すでにある説明する必要のない設定みたいなものがある。ラノベやギャルゲのシナリオってお約束ばかりだけど、言うほど読者は(と言うか僕は)、お約束が好きではないし、信じていないんじゃないかって感じる。それはただ、そのフィクションにすばやく入り込むためだけの約束事だったり、崩されることを期待するものだったりする。


しかし、書き手としては(書き手でいたい自分としては)、そういう雑感よりもむしろセンスのほうを磨きたいとは思う。批評と、どっちかを選べと言われたら、やっぱり批評はできないし。頭悪くても作品が書けるって思っているわけではないんだけど、批評能力と物語を書くセンスというのは違うと思うので。というか、信じているので。

すると、こうやって長々と自分の頭の中にあるとりとめのない疑問を書き出すよりは、新しいお話を考えたほうがいいのかもしれない。たぶん、僕はどっちもあんまり好きじゃないんだと思う。情熱がないんだろうな。べつに、情熱がなくても、誰に迷惑をかけるというわけでもないけど、(愚痴を書くことで読んでいる人の気分を悪くさせるってことならあると思うけど)。


さて、『とりとめのない六人の話』も、結局一区切り付くところまで書いてみると飽きてしまった。飽きたというか、書き続けるためのネタがないのだ。資料とか、知識とか。ロボット話を書くなら読んでおくべき本がたくさんあるんだと思う。ものを書くためにそういう本を読み漁るということができないという時点で、僕は物書きとしては失格なんだろう。逆に、自分の興味を追い続けてそれを作品に反映させられるほどの情熱も持っていない。まったく行き止まりだ。焦る。それでいて、何か特別な文章的センスがあるかって言うと、これもまたないのだ。

やっぱり、まずはできるだけ多くの人に作品を見てもらうということを考えたほうがいいのかもしれない。文章にしても絵にしても、やる気というものがあった試しがない。とくに、人に見せるということでやる気が出たことがあるか、思い出せない。幼少のころ、母に描いた絵を見せたくてとか、褒められたくて、というのは覚えているけど。ここ何年間かは人に向けて絵を描くことがほとんど、まったくない。

それでもこうやって書いているのは、少しでも人に見せたいと思うからだろう。だから、もうちょっとだけ活発なコミュニティーにでも自分を売り込んでがんばってみたらいいんじゃないかと。いや、これは何年も前から思っていることだけど。


とりとめのない〜は続きを考えてます。でも書くかどうかは未定です。たぶん書きます。最近だと新しく設定を考え出すみたいな気分がすごく衰えているので、使える設定はとりあえず使っておきたい。なんて、設定と呼べるような設定がないんだけど……。

やっぱり僕は進むべき道をもう少し考えたほうがいいのかもしれない。作るべきものを。ロボットモノからは、もう、ちょっと離れたい気分です。とりあえず、小説ではもう書きたくない。


ロボットを書くなら、もっと書きようがあるだろうという話ですね。たぶん、これは「女の子を書くなら、もっと書きようがあるだろう」とも言えます。最初に戻るけど、お話を進めるためにしか頭が回らず、空気感みたいなものを表現できていないんです。それがロボットのせいだとは言いませんけどね。と言いつつ、せいにしているんですけど。

でもしかし、書こうと思える何かがあるのは悪いことじゃないと思います。とりとめのない〜は、これからがおもしろくなるところなので、ぜひ続きを書きたいと思います。という慰め。